モヤモヤを抱えて今日も生きる。

とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

日が暮れて・・・夜が来る、その境目が怖っ!

「夜と朝の間に」という歌が昔ありました。

 

夜と朝の間って、いったい何時ころのことを云うんでしょうね。

 

今日の午後、とある小高い丘の中腹にあるお寺のお堂の縁側に座って数時間を過ごしました。

 

住職は常駐でないので、お堂は閉まっていて誰もいません。

 

訪れる人もなく、滞在中に人の姿を見たのは栗を落としに来たオジサンひとりだけ。

 

目の前に広がる田園風景を眺めながらいろいろなことを考えました。

 

人の生活、しあわせ、人生、カネもうけ・・・

 

陽が傾いてきたので、思い腰を上げて家路につきましたが。

 

そんでもって、薄暗くなってきた空を眺めて思ったこと―――

 

昼と夜の境目はいつなんだろう?

 

この時間帯ってなんだか怖いなぁって思うんです。

 

夜はそれはそれで怖いのですが、覚悟ができてる分なんとかなる。

 

でも、夕暮れ時の昼と夜の境目はなんだか怖い。

 

トワイライトゾーンなんて言葉も聞きますから、日本に限ったことではないのかも。

 

そんなことを考えていたら、夜と朝の間は何時ころなんだろう?とふと思った次第で。

 

ワタシの感覚では、3時を過ぎると朝の予感がするんですね。

 

深夜1時では、まだまだ夜って感じなんです。

 

・・・ということは、

 

夜と朝の間は深夜1時を過ぎて3時になる前の時間ってことで。

 

この時間帯は何だか不気味な時間で、ひとりで目覚めていたくない時間帯です。

 

そう言えば「丑三つ時」って昔から言いますよね。

 

今の計り方で言えば、2時から2時半の間ですかね。

 

幽霊が登場するゴールデンタイムです。

 

墓に周りを囲まれた、誰もいないお堂の縁側に座っていたからこんなことを考えたのかも。

 

すっかり闇に包まれたこの時間帯、あの場所はどうなっているのかなぁ?

 

想像しただけでも、背筋が寒くなる。

 

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絵を描いてみたら自分の性格と向き合うことに・・・

絵を描くのが好きだったのだと思います。

 

こどもの頃から風景や物をスケッチするのが好きだったなぁと今思い出しています。

 

小学生の頃、風景画に太陽を描き込んで提出したら先生に「太陽は描かないのっ!」と言われ、

 

不承不承ながら、絵の具で塗りつぶして消した苦い経験を以前書きました。

 

そんなことにもめげずに、その後もスケッチブックを抱えて近くに出かけた思い出があります。

 

中学校のイベントである写生大会は楽しかったと記憶しています。

 

一日中、外に出て絵を描いていられるなんて、こんなによい一日はありません。

 

もともと、風景を眺めるのが好きなのだと思います。

 

絵を描くということは、ずっとその風景と対峙していられるので最高です。

 

大人になってから、美術の先生と知り合いになったこともあり、再び絵筆をとった時期があります。

 

その先生は、「まずはデッサンから」と、簡単な指示をするくらいで、

 

あとは、ワタシの好きなように描かせてくれました。

 

ダメ出しもしないので、自由にのびのびと描けて楽しい時間でした。

 

ただ、絵を描くって自分の性格が出るんだなぁってつくづく思い知らされ、

 

考えちゃうこともしばしばでした。

 

ひとつの線を入れるにも、度胸がないんです。

 

自信がない・・・

 

あるとき、その先生に訊いたことがあります。

 

「ひとつの線を描くのにも、これだ!って決まるもんですか?」

 

ワタシは、これが決められない。

 

たくさん可能性があるわけじゃないですか?

 

そのうちのひとつに「これが正解!」なんて思える自信がないわけです。

 

先の質問に対する先生の答えは、イエスでした。

 

「え―――---――っ!」

 

無数にある可能性のうち、ひとつ「これ」という線が決まるなんて!

 

先生との違いを思い知らされた瞬間です。

 

どうやったら、確信を持って一本の線を引くことができるのか?

 

いまだに、自信を持って決めるなんてできません。

 

 

太陽は描かないの!と言われたときのこと↓

moyamoyaikiru.hatenablog.com

 

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「ちゃんと考えてやってる?」と問われたら

あなたが上司から「ちゃんと考えてやってる?」と聞かれたら、どう答えますか。

 

「はい、もちろん考えてやってるつもりです。」と答えますよね。

 

でもね、こんな時に「どんな工夫をしましたか」と聞かれたら、

 

本当にやっていなかったら答えられない。

 

「実は考えていないということが、工夫の有無で明らかになってしまうのです。」

 

こう話すのは、この本『考え方の教室』の著者・齋藤孝さんです。

 

なるほど。

 

子どもには「どんな工夫をした?」と聞いてみるといいかもしれません。

 

「英単語を覚える工夫をしてみましょう」と提案されたら、

 

「できません」とは言えませんものね。

 

これをくり返しているうちに、「ああ、考えるというのはこういうことなんだ」

 

「『これが現実が変わるということなんだ』と自分で認識できるようになる。」

 

齋藤先生がそう教えてくれます。

 

この本は、考える力をつけるにはどうしたらいいのか?を、

 

齋藤先生の大学での実践を通して、わかりやすく説明してくれています。

 

実際に、家庭でできそうなこともあります。

 

考える力が大事とか、これからは思考力を鍛えないと・・・などと言いますが、

 

実際に考える力をつけるのは大変です。

 

学校だっていまだに知識偏重だし、知識を詰め込むことが勉強だと思っている人も多いですよね。

 

この本を読むと、考えることが大事だと実感するし、

 

思考力をつけるのは難しいことではない、とも思えてきます。

 

家庭で子どもと一緒に楽しめる取り組みもありそうです。

 

「なんでもベストテン」なんて家族でやっても面白いかも。

 

「好きな曲ベストテン」でもいいし、「お弁当に入っていたら嬉しい好きなおかず」でもよし。

 

ベストテンを作って披露して、「なんでこれが一位?」なのか説明も。

 

こんなことをやっていると、知らず知らずのうちに思考力が・・・

 

たしかに、そうかもしれません。

 

こどもに「考えるって面白い!」って思わせられたら、

 

こどもは、自らどんどん進んで勉強するようになりますよ。

 

嘘かホントか、実際にやってみてはいかがでしょう?

 

 

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『川っぺりムコリッタ』映画館で観てきました

ムロツヨシさん演じる島田がドアの向こうから現れただけで、

 

ワタシの斜め後ろに座っていたオバちゃん軍団から笑いが起こりました。

 

しかも、セリフが「お風呂貸してくれない?」ですからね。

 

ドアを開けた山田(松山ケンイチ)じゃなくてもビックリの登場です。

 

どんな映画なのか、前情報もなしに観に行ったもんですから「何これ?」状態。

 

劇中の松山ケンイチ演じる山田と同じ心境で、山ちゃん世界にどんどん引きずり込まれる。

 

「人の家に土足で上がり込んでくる」って表現がありますけど、

 

山田の行為は正にこれなんですね。

 

ワタシも「無理っ!」って思ったんですけどね。

 

・・・

 

とにかく、不思議な映画です。

 

特に、話の筋があるわけじゃないし、

 

ストーリーで、どんどん引き込んでいくってわけじゃないんですよね。

 

ただ、食べるシーンが繰り返されていくうちに何かが変わっていく。

 

監督は荻上直子さんです。『かもめ食堂』の監督です。

 

『川っぺりムコリッタ』では、原作・脚本も務めています。

 

ネット記事で読んだのですが、松山ケンイチさんが舞台あいさつでこんなふうに言っていました。

 

「自分自身の周りの小さな幸せを、どれだけ実感できるか、気づいていけるかということが必要になる時代になると勝手に思っていて、そのいいヒントになる作品。」

 

言語化できないもやっとした、あいまいなものを届けて、いつまでも皆さんの中に残るのが映画の理想だなと思います。」

 

まっ、そんな感じの映画なんです。

 

引用はこちらの記事から↓

natalie.mu

 

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てぃ先生が言っちゃいましたね

カリスマ保育士ともいわれる、てぃ先生ですが、

 

その発言がネットで話題になっていました。

 

テレビ番組「踊る!さんま御殿!!」に出演して言ったことが物議をかもしているようです。

 

その発言の内容とは、

 

SNSやニュースのコメント欄で『あいつ、子供もいないくせに子育てのアドバイスを送ってる』とか言ってくる人がいて、さんまさんとかは面白く言ってくれるから全然いいんですけど、あいつらは嫌味だけで言ってくるので・・・」

 

「お家の中の子供って、今の時代、多くても1人か2人ですよね。でも保育園って1日何十人もの子供たちを見ているわけです。経験や知識が違うわけですよ。なのに子供がいるかいないか、結婚してるかしてないかで、『あいつのアドバイス、意味あるのかないのか』って決めつけるな!」

東洋経済ONLINEから引用)

 

てぃ先生のことは、テレビで見て知っていました。

 

子どもたちにも人気で、子育てについて適切なアドバイスをしてれる人だなぁ、と思っていました。

 

だから、今回の発言にはちょっとびっくりしました。

 

それと同時に、「てぃ先生ほどの人でもやっぱり気にするところがあるんだぁ」という感想も。

 

彼にしてみれば、親ではないということが唯一の弱点ですからね。

 

(ほんとうは弱点ではないですけどね)

 

親の方にもいろんな人がいるから、「子どももいないくせに!」と言いたくなる気持ちもわかります。

 

ワタシは常日頃から思っているのですが、

 

保育とか教育の世界にカリスマをつくってはいけないと。

 

保育や教育は地元に密着して地道に成果を上げていくものです。

 

一人のカリスマが世界を変えることはできないので、

 

みんなで底上げをしていくしかないんですよね。

 

地元で頑張って目の前の子どもたちのために良い保育をしている保育士がたくさんいるはず。

 

そういう、保育士をちゃんとみんなで支えていくしかないんだと思うのです。

 

かつて、北海道に「ヤンキー先生」がいましたよね。

 

彼は有名になったら議員になってしまったので、ワタシは残念に思いました。

 

彼が、教員として歳を重ねていく姿を見たかったと本気で思います。

 

その方が議員になるより日本中の先生に大きな影響を与えたんじゃないかと思うからです。

 

てぃ先生には、ずっと保育士を続けてほしいなって思っています。

 

人の人生ですから、これは余計なお世話ですね。(ゴメンナサイ)

 

参考にした記事↓

toyokeizai.net

 

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「日本女性はかわいそう」と言われるのはなぜ?

国民性の違いを表すジョークに沈没船ジョークというのがあります。

 

「沈没しそうな客船から乗客を海に逃す際、船長は各国の人々に何と言えばいいか」というものです。

 

アメリカ人に対しては、「飛び込めば英雄になれますよ」

 

イギリス人に対しては、「紳士はこういう時に海に飛び込むものです」

 

イタリア人に対しては、「海で美女が泳いでいますよ」

 

フランス人には、「決して海には飛び込まないでください」

 

ドイツ人には、「規則ですので海に飛び込んでください」

 

そして、日本人に対しては、「みなさん、飛び込んでいますよ」

 

いかがでしょうか? 各国の国民性をよく表していると思いませんか。

 

世界各国が遠く離れていた時代に、国民性に特徴があるのはわかります。

 

でも、現代のように交流が盛んになってきた時代にも違いってあるものなのですかね。

 

「日本女性はかわいそう」と言っているのは英国人です。

 

東洋経済onlineに、″ほしいのは「つかれない家族」″という連載があります。

 

その中のひとつが、″「日本女性はかわいそう」と英国人が言う理由″というものです。

 

こんなフレーズがあるのです。

 

西洋でよく聞くジョークってことだそうです。

 

「男の理想の人生とは・・・

 

アメリカの家に住み、中国人のシェフを雇い、日本人を妻に持つこと」

 

いかがですか? これって喜んでいいことじゃないですよね。

 

日本社会で、男女平等が進んでいないことの現れでしょ?!

 

社会でも家庭でも、女性が男性より下の立場に置かれているってことでしょ。

 

だから、この英国人は「日本女性はかわいそう」だと。

 

やっぱり、そんなふうに思われていたんだぁ。

 

なんか、薄々感じてはいましたが、はっきり言われるとね。

 

この事実、多くの日本女性は知った方がいいんじゃないですか。

 

女性だけじゃなく、日本の男性もこの現実を知るべきです。

 

そうじゃないと、世界から取り残されちゃうような気がするのですが、どうなんでしょう?

 

参考にした記事↓

toyokeizai.net

 

沈没船ジョークはこちらの本にあります↓

 

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映画「キンキーブーツ」を久しぶりに見ました。

映画「キンキーブーツ」は2018年製作のイギリス映画です。

 

その後、ミュージカル版もできてブロードウェイで上演され、トニー賞を受賞しました。

 

日本でも小池徹平三浦春馬の主演で上演されたのでよく知られていますよね。

 

父の死後、田舎の倒産しそうな靴工場の跡を継いだチャーリーと、

 

ロンドンのソーホーでドラァグクィーンをしているローラとその仲間たち。

 

普通だったら、出会うこともなかったような人たちです。

 

この映画を見ると思うんです、こういう人間関係を築きたい!と。

 

こういうのを見ていると、目頭が熱くなってくるんです。

 

最近読んだ本の中で、著者の荻上チキさんが言っていたことが蘇りました。

 

荻上さんは、「パレードを見ると、涙が出る」のだと。

 

パレードとは、「東京レインボープライド」のことです。

 

知ってる人も多いと思いますが、「セクシャル・マイノリティ(性的少数者)への差別や偏見を払拭し、だれもが自分らしく生きていくことのできる社会の実現を目指すイベント」です。

 

「異なる者同士が、それぞれ自由に行進している姿を見るだけで、涙腺が緩む」のだそうです。

 

チキさんは「妖怪もの」作品で妖怪たちが人間のために一肌脱ぐ的な演出が好きなようです。

 

「みんな来てくれたのか!?」的な演出で涙がドバーっと。

 

この感覚、「わかる~」って思いました。

 

この映画のラストシーンなんかでも、同じことを感じます。

 

 

引用は『みらいめがね』より↓

 

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