モヤモヤを抱えて今日も生きる。

とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

「わたしは日本人です」ってどうして言える?

日本人の両親の間に生まれ、

 

日本に住んで日本語を話すワタシは、

 

自分が日本人であることを疑ったことがない。

 

他の人から聞かれたこともないですからね。

 

こんなワタシが「あなたはどうして日本人ですって言えるの?」

 

と聞かれると、説明するのに窮してしまいます。

 

こんなことを考えたのは、新聞の特集記事を読んだからです。

 

〈「日本人」を決めるのは〉というタイトルの記事です。

 

記事を読んで思いました。

 

ワタシは〈自分が「日本人」であることを疑ったことがない人〉であると。

 

そして、そういう人こそ

 

〈無意識の抑圧者になっていないか、自問すべき〉だと。

 

そう、こういうことを意識しないで生きていると、

 

知らず知らずのうちに差別に加担しちゃうんですよね。

 

ネットで調べてわかったことですが、

 

日本国内には外国にルーツを持つ子どもや若者が180万人以上いるそうです。

 

国籍もいろいろで日本国籍の人もいます。

 

ワタシの周りにも少なからずいます。

 

彼ら・彼女らと接するときにいつも思います、

 

ワタシは自然に接しているだろうか?と。

 

「差別はいけない」と普段は思っていても、

 

心の底の方には差別意識が潜んでいないか、と。

 

記事の中に興味深いことが書いてありました。

 

マライ・メントラインさんの話です。

 

ドイツでは2016年に公共放送が特集番組を作ったそう。

 

何が「ドイツ人」を決めるのか、

 

「言語」「価値観」「見た目」などから出演者が討論したとか。

 

そして、ここで確認したことがこれです。

 

「私たちの社会は民主主義と男女平等を重んじる」ということ。

 

こういうことが大切な共有価値だってこと。

 

こういう価値観を持っている人がドイツ人だってことですよね。

 

すごいなぁ、日本でもやってみたらいいんじゃないかなと思います。

 

やるべきですね、やれるかな。

 

こんなことができるドイツってすごいなと思います。

 

そして、もうひとつ、

 

日本の首相がよく使う「国民の皆さん」という呼びかけ、

 

ドイツでは使わないそうです。

 

その代わりに同じ場面でドイツの政治家が使うのは

 

Mitbürger  

 

「国に共に暮らす人々」という意味らしい。

 

こういう言葉があること自体すごい!

 

自分の中の〈「ザ・日本人」像〉を常にアップデートしないとな、

 

こんなふうに思いました。

 

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