ある本を読んでいたら、森鴎外の小説の一部が引用されていました。
めったに外に出ない秀麿は、事新しくベルリンの電車と違ふ所を考へた。あっちでは座席が一ぱいになれば満員である。吊革は運転中に電車の中を歩く時掴まるために吊ってあるのだから、それを持って立ち留まると車掌が小言を言ふ。同じ交通機関が出来も、こっちのはなんとなく物足らない心持がする。洋行帰の人の中に、此心持を誇張して故郷を誼ふのなんのと云ふものの出て来るのは、面白くない現象ではあるが、何に附けこの物足らなさの離れないのを、全然抹殺することは出来ないと思ったのである。(森鴎外「藤棚」より)
この文章は、キャパもないのにとにかく西洋文化を取り入れよとしている当時の明治日本を風刺している向きもあるようです。
でも、ワタシが「なるほど」と思ったところは、そのままの光景です。
座席が埋まれば満員と考えるドイツと、
車両にこれ以上は入れない状態が満員ととらえる日本との違いです。
これはドイツに限らないことのようです。
ワタシが実際に経験した、イギリスの地方都市での出来事です。
朝の通勤時間のバスの中でのことです。
さほど混み合っているわけではないのですが、ワタシはバスの通路の前方に立っていました。
何かの拍子にバスが急停車をした際、ワタシはよろけて前に立っていた年配の女性に触れてしまいました。
その瞬間です、”Don’t touch me!”(さわらないで!)
すかさず、”Sorry.”と謝りましたが、ちょっとビックリでした。
本音を言うと、「いやいや、触ってないでしょ、ちょっと触れただけですから。」
まだワタシが20歳前の若かりし頃の出来事です。
この経験は衝撃的でした。
見ず知らずの人に体を触れられることに、こんなに嫌悪感を抱くのか?ってこと。
当時の日本は通勤電車にギュウギュウ詰めにされるのは当たり前のことでしたから。
都心の通勤電車でだれにも触れないなんて無理な話でした。
それでも、だれも文句を言わない日本は異常なんだとその時初めて実感しました。
いつだったか通勤ラッシュが極限に達したころ、座席のない車両を見たことがあります。
ラッシュ時の数時間、車両の座席が収納されて座れなくなる車両が導入されたんです。
それを見て思いました、「これは貨物だ」。
こんなことができてしまうのが、私たちの住む日本なのか。
当時は致し方なかったのか。
ということは、状況次第では、同じようなことはまた起こる?
個人の尊厳について考えさせられるシーンでした。