モヤモヤを抱えて今日も生きる。

とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

落ちぶれちゃった?

武器を輸出しちゃっていいの?

 

日本って、こういう国でしたっけ?

 

ワタシと同じように「ちょっと待って!」って思っている方もいるようで、

 

天声人語でも取り上げられていたし、朝日川柳でも題材に使われていました。

 

どちらも秀逸なのでワタシ如きが出る幕じゃないのですが、

 

それでも一言申し上げたい。

 

佐藤栄作首相が武器輸出三原則を国会で表明したのが1967年です。

 

1976年には三木首相が政府統一見解として、武器輸出を実質的に全面禁止しました。

 

このとき宮沢喜一外相が国会で述べた言葉が、これですー

 

「わが国は兵器の輸出をして金を稼ぐほど落ちぶれてはいない」

 

かっこよくないですか?!

 

これを聞いたら、自国に誇りを感じます。

 

胸張って「ど〜だ〜!」って感じです。

 

現在の総理大臣が国会で述べた言葉と比べてみて!

 

高市早苗首相の言葉は「日本経済の成長にもつながります」だって。

 

この言葉にはガクッときます。

 

落ちぶれちゃった ???( ;  ; )

 

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こどもをダメにしているのは大人です

教えられたことを覚えること。

 

学校ですることって、こういうことだと思ってる子どもは多いと思う。

 

「授業がワクワクしておもしろい!」なんて思ってる小学生ってどのくらいいるのだろう?

 

学力喪失 認知科学による回復への道筋 (岩波新書)』を読みました。

 

学力喪失 認知科学による回復への道筋 (岩波新書)

 

この本には、算数の事例がたくさん出てきますが、読んでいてしんどくなります。

 

分数の意味も「2割引」の意味もわからない小学生がかなりいるみたい。

 

こういう子たちは、単位としての「1」の意味がわからない。

 

そうなると、

 

小学校高学年から先の算数・数学はひたすら「記号を操作するだけのわけがわからないもの」になってしまう。p.106


これ、わかります。

 

ワタシも高校になってからですが、こういう状態を数学で経験しました。

 

理屈も意味もわからないから、勘でいくしかない!

 

しんどかったなぁ、まさに時間の無駄遣いだった。

 

本の中にこんな事例がありましたー

 

小学1年生のある教室では、1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉のスタックを与えられ、先生に言われた数(金額)をスタックからとってくるという活動をしていた。そのさなかに、一人の子どもが二桁の数に(計算ではなく、数そのものに)苦戦していた。「56円を取って」と先生が言うと、21円を差し出す。それも、1円玉11枚に10円玉を1枚。「23円を出して」と言われると、15円を出す。1円玉5枚と10円玉1枚だ。 この子どもの理屈が読者にはわかるだろうか? p.83

 

どうですか?

 

この子どもは「56円」に対して、まず1円玉を5枚取った。次に10円玉を1枚取り、最後に1円玉をもう一度6枚取った。すると21円になったのだ。

 

この理屈わかりますか?

 

この子どもは「ごじゅうろく」という耳から入った数字を「50+6」ではなく、聞こえた通り、三つの数字に分解した。「5+10+6」が「ごじゅうろく」と考えたのだ。

 

子どもはこんな勘違いをするんですね。

 

こういうのを、小学校の先生がちゃんとわかっていてフォローしてくれないと後がたいへん!

 

小学校高学年になっても分数・小数の意味がわからなかったり、

 

分数、小数、自然数の量的な関係も理解できていない子どもが大勢いるみたいですよ。

 

こんな状態のまま学年が進んで中学生になったら悲惨ですよね。

 

どうしてこんなふうになってしまうのか?

 

本来、子どもは乳児期には問題解決に成功するだけを目的に探究するのではなく、

 

「モノに身体で触れて、つかみ、動かし、そのモノを理解しようとする」らしい。

 

「同時に世界の仕組みを理解しようとする」らしい。

 

それなのに、

 

テストで高い得点を取ることが「成功」と思うようになり、失敗することを怖がるようになる。p.294

 

どうしてこうなっちゃうのでしょうね?

 

なぜ学校では自ら知の世界を探索することをしなくなるのだろうか。教えてもらった知識の断片を「覚えること」が学校ですることだと思ってしまい、その結果、学ぶ力を喪失してしまっているのだろうか。このことは、教育にかかわる仕事をしている人たちだけではなく、社会すべての大人が真剣に問い、考えなければならないことだと思う。p.295

 

同感です。忘れちゃいけない宿題をもらいました。

 


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一人だと無力だと落ち込むけど・・・

4月8日付朝日新聞の「天声人語」には思わずマーカーで線を引いてしまった。

 

国際人権団体は「児童の動員は戦争犯罪にあたる」と非難している。

 

これはイランの革命防衛隊が12歳以上を対象に「志願兵」を募ったことに対して。

 

そして、こちらー

 

多くの学者が国際法違反だと指摘している。

 

これは米国による民間インフラへの攻撃について。

 

見るに耐えない出来事が次々に目の前に展開し、目を覆いたくなる。

 

できることなら見ないでいたい。

 

そうすれば自分の中では「なかったこと」になるから。

 

無力感を感じるのはワタシだけじゃないんだな、と記事を見て思った。

 

でも、無力感で終わらないのは、さすが!天声人語です。

 

「法律はクモの巣」という古代ギリシャの政治家の例えを引用して、

 

大物に網を壊され、逃げられてしまっても、それでもー

 

と、こんなふうにまとめている。

 

何回でも網を張りなおすしかない。国際社会が手をとりあって破れを繕い、さらに強くしなやかなものにする。その中心にいる日本の姿を見たいものである。

 

ワタシもそんな日本の姿を見たい!

 

ときに無力感に苛まれるが、その度にひとりじゃないと気づかされ、励まされる。

 

もうちょっとがんばろう。

 

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その「多様性」の中に、私は含まれていますか?

この問いかけには、ドキッとしました。

 

この問いかけを投げかけたのは野口晃菜さんです。

 

一般社団法人UNIVA理事という肩書きです。

 

朝日新聞4月8日付の「学校をひらく」というコーナーで紹介されていました。

 

彼女がインクルーシブ教育の実践を試みる中で、

 

様々なマイノリティー当事者やその家族との対話に出てきたのが、このフレーズ。

 

「その『多様性』の中に、私は含まれていますか?」

 

「うちの子は含まれていますか?」

 

ドキッとしました。

 

「なぜ、私たちは限定的な『多様性』しか想定できないのか。」

 

野口さんの回答はこうですー

 

「それは、幼いころから私たちが出会ってきた人たちがあまりにも限定的であり、私たちの日常が、『マジョリティー』を中心としたつくりになっているからではないでしょうか。」

 

ワタシ自身は「普通の教室」で学び過ごしてきたんだなぁ、と思います。

 

その一方で「普通の教室」で学ぶことが困難とされる子は「特別なケア」の対象として別の場が用意された。

 

それが特別支援学級や特別支援学校、教育支援センターなどですね。

 

こんなふうに、子どもを「ふつう」「特別」に分けておいて、

 

「共生」と言ったってただのお題目ですね。

 

どっかまでが普通でどっかからが特別、なんていう線引きは疑問です。

 

ひとり一人がみんな違う!

 

自分もその多様性の中の一人だ!っていう方がしっくりくる。

 

この方が楽な気持ちになるんですけど。

 

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本屋は何でもできる

「本屋は何でもできる」こんなふうに語るのは、

 

この本『さあ、本屋をはじめよう 町の書店の新しい可能性』を監修した和氣正幸さんです。

 

さあ、本屋をはじめよう 町の書店の新しい可能性 (ele-king books) ([テキスト])

 

「本があればどんな人とも繋がれる」とも。

 

和氣正幸さん自身が本屋ライターであり本屋の店主でもあります。

 

本屋さんを取り巻く環境がどんどん変わってますよね。

 

ワタシの周りでも子どもの頃を思い出すと様変わりしてます。

 

近所の本屋さんが姿を消して郊外に大きなブックセンターができたり・・・。

 

本自体、ネットで購入することも多くなりました。

 

そんななか、個性的な本屋さんが話題になったりしてるようです。

 

シェア型というか棚貸しスタイルのお店も見かけるようになりました。

 

この本には、ユニークな書店がいくつも出てきます。

 

第二章には「私が本屋を開くまで」と題して、

 

12店舗の本屋さんの準備から継続までが、アンケート形式で紹介されています。

 

そんな気が少しもないワタシでさえ、ちょっと心が動いてしまうくらいですから、

 

自分で本屋さんを始めてみたい!と思っている人は必見ですね。

 

参入が厳しい業界のように見えますが、一方で夢もある世界なのかな!?

 

「本屋は可能性の塊である」と「まえがき」で和氣さんは言います。

 

本は何とでも組み合わせられるということである。珈琲の本と珈琲豆を隣に置くこともできるし、バッタの本の著者を呼んで話を聞くこともできる。つまり本があればどんな人とも繋がれる。果てしない可能性があるということだ。だから本屋は何でもできる。p.3

 

本書の中でも「短歌を楽しむ会」や「日記を持ち寄って対話する会」、「石にまつわる雑談会」などをやってる書店が紹介されています。

 

この本屋の店主はこんなふうに語っていますー

 

友人とも異なる誰かとお互いが興味関心を交わすことができる「ささやかで自由な集い」というものが、小さな個人店と社会には、これからますます必要なのかもしれないと感じています。p.99

 

あっちこっちの本屋さんを巡る楽しみができました。

 

 

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「おまえはおかしい」って言われ続けたら・・・

いきなりですが、

 

アセクシュアルであることとアロマンティックであることは独立の事象であり、アセクシュアルでありアローロマンティックであることもあれば、アロマンティックでありアローセクシュアルであることも当然ある。

 

AはアセクシュアルのA 「恋愛」から遠く離れて』の135ページからの引用です。

 

何のことを言ってるかわかりますか?

 

いきなりこんな話をされたら、ワタシ、何を言われているのかわかりません。

 

この本を読んでよかったと思います。

 

AはアセクシュアルのA 「恋愛」から遠く離れて

 

自分は今まで、何と狭い認識というか考え方の中で生きてきたことか!

 

女と男がいれば恋心が芽生えるのはごく自然なこと、とか、

 

女は男に惹かれるもので、男は女に惹かれる。

 

惹かれ合った男女2人が性的な身体関係を求めるのは、あたりまえ!

 

こんな自分の思い込みがガンガン揺さぶられます!

 

自分が今まで極せま〜い性愛規範の中で生きてきたんだなぁ、と思い知らされました。

 

LGBTQがレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィアを表すくらいのことは知っていましたが、

 

ポリアモリーやアローロマンティックとなるとお手上げですね。

 

読んでいて、目を開かされましたヮ。

 

自分は多数派の中に埋もれて、今までのほほ〜んとお気楽に暮らしてきたようですね。

 

その一方で、生きづらさを感じて生きてきた人が多数いたことも、この本を読んでわかりました。

 

「おまえはおかしい」なんて言われ続けたら、頭がどうかしちゃいますよね。

 

苦しむ者が一人でもいる社会じゃダメなんですよ。

 

みんな違ってみんないい!

 

めざすはこんな社会なんだ!というのが見えてきた気がします。

 

 

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おばあちゃんの暮らしに惹かれるのは何でだろ?

知り合いのおばあちゃんの話を聞いてるような読書でした。

 

 『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』を読みました。

 

87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし

 

書いたのは多良美智子さんです。

 

中学生の孫が撮った動画がYouTubeにアップされ、「Earthおばあちゃんねる」という人気チャンネルに。

 

本書の〈著者紹介〉欄に「登録者数が6万人を超える」とか「最多再生動画は160万回超」とありました。

 

ワタシも観たことがあります。

 

確かに、この動画には惹かれるものがありますね。

 

何なのでしょう、ね?

 

ネット上には他にも似たようなコンテンツがいくつもあるとか。

 

ほんとはみんな身近なおばちゃんの話を聞きたいんじゃない?

 

核家族化が進んだり人の関係が淡白になったりしてるのと関係ある?

 

多良さんのお話を聞きながら癒されてるんじゃないでしょうか。

 

ワタシにもそんなところがあるのかもしれません。

 

そして、人生の先輩としてのおばあちゃんの暮らしぶりを見ながら、

 

自分自身の「そのとき」をチラッと考えてるのかも。

 

自分もこんな歳のとり方ができたらいいなぁ、なんてね。

 

 

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