モヤモヤを抱えて今日も生きる。

とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

ことばってホント面倒くさい、けど・・・

誰かとしゃべるってしんどい

 

人と話すってしんどい

 

たいていの場合、ことばの方が過剰か過少

 

あんなこと言わなかったらよかった

 

もっと別の言いかたをすべきだった

 

言ったあとで後悔ばかりしている

 

いくらことばを重ねても言い足りない

 

しゃべっているうちにだんだん作り話っぽくなっていく

 

これみんな、鷲田清一さんの言葉です。

 

著書「だんまり、つぶやき、語らい」を読みました。

 

ことばのプロみたいな鷲田清一さんも、そんなふうに思うことがあるんだとホッとしました。

 

「しゃべりたくないときには黙っている、しゃべりたくなったら口をひらくのがいちばんラク」、これも鷲田さんの言葉。

 

でも、日常生活ではそんなことも言っていられません。

 

黙っていればコミュ障に見られないかと気になり、しゃべったらしゃべったで自分がくだらない奴と思われやしないかと心配になって、

 

会話を楽しめるどころじゃないと思うことも。

 

この本は、高校生に向けられた講演の記録です。

 

不登校経験者ばかり集めた「名前のない学校」でのいろんな作戦が興味深いです。

 

「家族インタビュー」や「他己紹介」のエピソードは、なるほど~って感心です。

 

また、絶対に読まない新聞の記事を持ち寄って、なぜ読まないのかを説明する。

 

こんなところから、ことばが生まれる。これはおもしろそう。

 

言葉やしゃべること・黙ることなどなど、考えさせられる一冊でした。

 

 

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学校を取り戻すにはまずは算数セットから

学校は誰のものか?って考えたときに、ワタシは子どものためにあると思いたい。

 

現状はどうかというと、学校は子どものために存在しているとは言い切れない。

 

じゃ、取り戻すためにはどうしたらよいか?と考えたときに算数セットだったのです。

 

算数セットじゃなくてもなんでもいいんですよ。

 

どこから取りかかってもいいので、そのひとつに算数セットがあるなって思ったのです。

 

こんな記事を読んだのがきっかけです。

 

日本の小学校の「算数セット」の細かい記名はアメリカ人には狂気 ラクにならないのはなぜ?(1/2)〈AERA〉 | AERA dot. (アエラドット)

 

算数セットに細かい名前シールを貼っていた、あのときの感覚が蘇ってきました。

 

記事の中では、算数セットのような細かいものに一つずつ記名することにも、

 

保護者の間でも賛否両論あって妥協策として生き残っているとありました。

 

ワタシはこれには同感しません。

 

廃止して!という保護者や児童の意見が先生方を動かすほど大きなうねりになっていないからです。

 

先生からしてみれば、無視できるほどの苦情しかないってことだと思います。

 

名前シール貼りは、一時的なものですし、

 

子どもの小学校入学の記念行事みたいなところもありますからね。

 

面倒くさいけど耐えられないほどの苦行ではない、というのが親の本音でしょう。

 

先生にしたって、疑問に感じている人もいるでしょうが、

 

自分が言い出しっぺになって廃止にするほどのモチベーションはないでしょう。

 

こんなことで、自分の立場を危険にさらしたくないでしょうから。

 

でも、もっと大きな視点からものを考えると、問題アリアリだと思います。

 

地球環境のことを考えても、一時期しか使わないプラスチック製の算数セットです。

 

これが毎年、全国で大量に消費されているわけです。

 

家庭では、ほぼ新品のような算数セットをゴミとして処分しています。

 

子どもが複数いたら、その人数分です。

 

地球環境のことを考えたらNGでしょう。

 

本当に喜んでいるのは業者です。商売ですから絶対になくなってほしくない習慣?です。

 

こうやってGDPも押し上げられているわけですね。(余談ですが)

 

大局に立って眺めたら、算数セットを個々に買わせるのはナシでしょう。

 

保護者が声を上げてこの習慣を変えるしかないです。

 

参考にした記事はこちら↓

dot.asahi.com

 

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本当に参考になるのは不合格体験記

受験生の中には、合格体験記を参考にされる方は多いでしょう。

 

でも、本当に役に立つのは不合格体験記だと思うのです。

 

合格体験記に書かれていることって参考にならないことが多いのです。

 

理由は、合格した人が失敗したことのない人ばっかりだったりするからです。

 

だいたい、合格体験記なるものは後輩たちにアドバイスをお願いしますという形で、

 

学校や雑誌が優秀な人にお願いするわけですよね。

 

合格体験記を書いている人って優秀な人が多いのです。

 

優秀な人って、多くが「普通に勉強していたら合格しちゃった!」という感覚だと思うのです。

 

だから、「学校の勉強だけで十分でした」とか、「予習復習をしっかりやりましょう」とか。

 

当たり障りのないことが多いように思います。

 

しかも、昨今では受験もお金がものをいう世界です。

 

幼児の頃から「なんとかチェレンジ」だとか「なんちゃらサプリ」なんかを買い与えられ

 

コツコツ勉強していた子どもたちが、中高一貫校かなんかに順調に進学し、見事難関大学に合格!となるわけです。

 

幼いころから敷かれたレールの上を素直に走ってきたから合格できました。

 

こんなことを言われてもねぇ、ふつうの人には真似できません。

 

だからね、不合格体験記の方がよっぽど役に立つと思うのです。

 

でも、そんなの見かけないですよね。

 

あったとしても、手に取る気にならないです。だって縁起が悪いですから。

 

しかも、そこから有益な情報を引き出すにはそれなりに見極める力が必要ですから。

 

不合格体験記に書かれたことをそのまま真似しても不合格になるだけです。

 

そこに書かれていることを反面教師にして、では、どうしたらよいかを考える必要があります。

 

そうです、一番役に立つのは、「不合格体験者の合格体験記」なるものです。

 

こういう人は、何をやってはいけないか?どうすれば合格できるか?ちゃんとわかっています。

 

最終的には合格できたわけですから、信頼もできるというものです。

 

学校の先生や雑誌の編集者さま、こんな人に体験記を書かせてあげてください。

 

後に続く後輩たちの参考になること間違いないと思うのです。

 

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結婚も子育ても無免許なんだから危なっかしいものなのです

「家族の中に支配がある」という新聞記事(5月18日付 朝日新聞)を読みました。

 

公認心理士・臨床心理士信田さよ子さんへのインタビュー記事です。

 

信田さんはDVを受けてきた人たちの声を長年聞き続けてきたカウンセラーです。

 

「家族はいいもの」だと、ずっと言われてきましたが、

 

実は、家族の中に暴力装置が潜んでいるということが、だんだん言われるようになってきました。

 

夫から妻への虐待、妻から夫への虐待、子どもへの、そして年老いた親への虐待。

 

「家族は力の強弱から成り立っており、愛という『隠れみの』によって強者が弱者を支配していることが不可視になっている」と、信田さんは言います。

 

そして、「ちゃんとそれを暴力と呼ばなければならない」とも。

 

こういうのを読んでいると、ワタシが生きてきた間にも、家族の見方が随分変わってきたと感じます。

 

その陰には、「現場から主張して世間の常識と闘ってきた」信田さんのような人がいたんですね。

 

社会は自然に変わっていくものではない、と改めて感じる瞬間です。

 

「家族はいいもの」という側面だけではないんだ、ということが知られるようになっただけでも、救われた人はいると思います。

 

でもね、まだまだなんでしょうね。

 

家族の形態もこれからは変わっていくのかもしれませんが、

 

人間は、家族的なものがどうしても必要なのでしょう。

 

それならば、どうしたらよいのか?

 

信田さんの提案には「なるほど」と思わされました。

 

「家族が暴力装置になるリスクを知り、それを防止することが必要だと思います。車の運転と同じで、ルールを守ることで安全が保たれるのですから。」

 

「たとえば婚姻届けを出す前に、自動車教習所のように『暴力はふるってはならない』『子どもを比較してはいけない』といった家族を形成する基本的なことがらについて受講を義務付けたらどうでしょう」

 

これには大賛成です。

 

実は、ワタシ自身も結婚前にコレを経験しているのです。

 

ネットで「結婚講座」と検索すると出てきますよ。

 

さて、どんなところがやっているのでしょう?

 

こういうの、義務付けられて行政がやったりしたら、けっこう効果あると思います。

 

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「戦争はいけない。」と言い切れる人

今のご時世に「戦争はいけない。」と言い切れる人はどれだけいるのでしょうか。

 

ロシアのウクライナ侵攻以来、好戦的な人(こんな人はいないと信じたいが)はもちろん、

 

普段は非戦論者まで、「戦争はいけないが・・・」と話すのを聞くことが多くなった。

 

「戦争はいけないが」の後に続く「・・・」にはこんな言葉が入ることが多い。

 

「他の国が攻めて来たら黙ってやられろというのか?」

 

「殴られている友人をただ見ているだけなのか?」

 

「防衛費は増やすべきだ!」

 

憲法9条は改正すべきだ!」

 

そしてこの場合、話している人の主眼はこちらの方にあり、前半の「戦争はいけない」の方はただの前置きのようなものになってしまう。

 

こんな激しい言葉が飛び交っている中では、

 

「やっぱり、戦争はいけない。」と言い切れる自信が揺らいでしまいます。

 

このご時世に、「戦争はいけない。」なんて口にしたら、

 

「お前はどこまでお子ちゃまなんだ!」とか言われそうです。

 

5月18日付の朝日新聞「多事奏論」に高橋純編集委員の記事がありました。

 

この人が、「『戦争はいけない。』まずはそう言い切ること。」と書いています。

 

こんなふうに考える人が新聞記者を今まで続けていたのは大変だったろうと推察します。

 

現に「この世に生まれて半世紀、鼻で笑われた経験は星の数ほどある」と言います。

 

それでも、「『戦争はいけない。』まずはそう言い切ること。小さな『。』の上にかじりついてでも考え抜くことができるか否か。そこがいま、問われていると思う。」と。

 

高橋編集委員の言葉に勇気をもらいました。

 

ワタシも「愚鈍な臆病者」と言われてもかまいません。

 

「そんな臆病者として生きたい。」と言える人でいたいです。

 

子どもに戦禍を被らせたくないですからね。

 

参考にした記事はこちら↓

www.asahi.com

 

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これでいいのか? 小学校の英語教育

小学校の英語学習が2020年度から始まりました。

 

小学校5、6年生では「外国語」というちゃんとした教科で、評価もされます。

 

文部科学省が令和3年度の「英語教育実施状況調査」の概要を発表しました。

 

あちこちのサイトで話題になっているようです。

 

その中でワタシが気になったのはこのことです。

 

小学校の外国語教育を担当するのは多くが学級担任なんですが、

 

ビックリしたのは、ほとんどが無免許だってことです。

 

小学校教諭のうち、中学校・高等学校英語免許状を所有している割合はたったの7.5%です。

 

英語を学び始める時期については様々な意見があるのが現状です。

 

「早いほうがいい」という意見もあれば、「日本語をしっかり学んだ後でも十分」という意見もあります。

 

どっちもそれなりの説得力があって難しい問題であることは確かです。

 

ただ、いずれにしても教師に教える能力があることが大前提でしょう。

 

英語の教員免許状を持っていない教員が教えているなんて論外です。

 

日本の英語教育は諸外国に比べて成果を上げていないと言われてもいます。

 

中学校・高等学校と6年間も勉強しているのに満足にしゃべれる人が少ないのも事実。

 

そればかりか、英語嫌いになる人が多いことも特徴的です。

 

最初に出会う英語教師の役割と責任は大きいと思います。

 

ここで良い教師に出会えれば、英語自体にも興味を持てるし実力も付くでしょう。

 

下手な教師に教わったら最悪です。

 

以前にワタシが実際に聞いた話です。

 

ある高校生が「マヨネーズいず~」と自分の名前を紹介していました。

 

曜日は「スンダイ、モンダイ、ウエドネスダイ・・・」だそうです。

 

こうやって、覚えさせられたとか。(笑えない!)

 

これ、中学校の先生が教えてくれたそうです。

 

英語教育の専門家に言わせれば論外でしょう。

 

英語教育の基本もわかっていないってことです。

 

英語学習で最も大切な初期の段階を無免許教師に担当されたら、たまったものではありません。

 

こんな状況だと、ますます英語嫌いの中学生・高校生が増えて、

 

日本人の英語コンプレックスは益々増長されるでしょう。

 

喜ぶのは英語教育産業くらいです。

 

もしかして、これが政府の狙い? (そんなわけないよね、信じたい!)

 

こんなことがまかり通っている現場って空恐ろしいです。

 

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想像じゃなくって、それ、妄想です!

街を歩いていて、たまたますれ違った人、

 

なんか気になって、何気なく後をついて行って、どんな暮らしをしているのか見てみたい。

 

そんな衝動に駆られることはありませんか?

 

ワタシ、時々そんなふうに思うことがあるんです。

 

もちろん、犯罪行為スレスレになるかもしれないので、しませんが。

 

電車に乗ったら、向かいの座席に座った人を端から一人ずつ、

 

どんな職業で、家族が何人いて、今日はこんな用事で・・・なんて具合に想像します。

 

人に話したら、「気持ち悪い」って言われてしまいました。

 

想像じゃなくて、それ、妄想だ!とも。

 

人間に興味があるだけなんですけどね。

 

オーケストラの105人」という絵本があります。

 

これ、読んでからクラシックのコンサートの楽しみが深まりました。

 

そうなんですよね、この人たちもそれぞれに生活があって、

 

いろんな思いで毎日を暮らしているわけなんです。

 

それが、コンサートの晩には開演時間を目指して準備をして集まってくる。

 

ちょうど、観客のワタシが毎日の暮らしを断ち切ってコンサート会場に急ぐのと同じように。

 

そう考えると、格調高いクラシックのコンサートなんかも、

 

ちょっと人間味が感じられて、味わいが増します。

 

この本、子どもたちにも人気です。

 

どこがおもしろいんだろう?

 

もしかして、ワタシと同じように感じているのかなぁ。

 

ぜんぜんシチュエーションが違いますが、

 

学校や会社に行くのが嫌で気がすすまない朝なんかも、

 

こんなふうに考えると気が楽になるかもしれません。

 

あの人もこの人も、もしかしたら「行きたくないよ~」とか「めんどくせぇな~」とか言ってるかもしれない。

 

みんな、何食わぬ顔して「おはよーございまーす」なんて言ってるけどね。

 

 

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