モヤモヤを抱えて今日も生きる。

とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

落合陽一さんの本の読み方がかなり刺激的です。

いつもはダメダメなのに、ここ一番!という時に頑張れることってありますよね。

 

こういうときって、大概、自分のためじゃなくて誰かのためだったりします。

 

そんな時には、「モチモチの木 だね!」ってワタシは言うんです。

 

これだけで、何を言っているのか通じちゃう仲だったらどんなにいいか。

 

落合陽一さんの『忘れる読書 』を読んでいたら、こんなことが書いてありました。

 

ある本を引き合いに出して、「これは・・・的な話ですよね」と言った時に、

 

聴衆から何かしらの反応が返ってくると、本質的なところで話が進めやすい、と。

 

逆に反応が薄いと、ベタな説明をしなくちゃならなくて話のスピード感が削がれてしまう。

 

これだと、濃厚な中身は伝わらないし、話が一向に深まらないそうです。

 

本のスゴイところは圧縮感、本は「作者が伝えたいことが凝集されている『言語の器』」。

 

だから、「日常会話の中でも、書かれた本の中身を共有しているかいないかでは、話のスピードと深度が全く違ってきてしまいます」と。

 

こんな感じで、この本には落合さんの読書観みたいなものが書かれていてグングン引き込まれました。

 

落合さんは中学生の頃に、「ニーチェを読んでいない奴とはしゃべれない」と父親に言われたそうです。

 

だから、本を読むことは落合さんにとっては「もうほとんど必然という感じ」だったようです。

 

また、大学一年生の時には、生物の教授から「岩波文庫を100冊読みなさい」といわれたそうで、それを実践したとか。

 

多読の効用は「他の本を読むときの理解度が格段に上がる」ということだと言います。

 

あの、天才・落合さんはこうやってできてきたんだなと感じました。

 

かなり刺激的で、第3章までワクワクしながら読みました。

 

 

 

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もっと早く言ってよ。

もっと早く言ってよ。50代の私から20代の私に伝えたいこと

 

 

この本は、「50代の私から20代の私に伝えたいこと」とサブタイトルにあるから、

 

 

50代の著者が20代の自分に言ってやりたいことが書いてあるのだと思います。

 

 

20代の頃は先のことがわからないから、夢がある反面で不安も大きいものですよね。

 

 

だから、50代になって気づいたことを、20代の自分に言ってやりたい気持ちはわかります。

 

 

そうすれば、もっと楽に生きられるだろうって思うのでしょう。

 

 

この本を読んでいる最中は、「自分だったら何を伝えたいのだろうか」とずっと考えていました。

 

 

「伝えたい」というよりも、「20代の自分が聞きたかったこと」って何ですね。

 

 

自分が大人と言われるそのになってみて感じたことは、

 

 

「年齢を重ねても、大して大人になってないな」ってことです。

 

 

子どもの頃の自分から見たら、当時の大人は本当に大人だったと思っていました。

 

 

世の中が今より単純だったから、大人の振りが簡単にできたのかもしれません。

 

 

マンガ「サザエさん」の波平さんは、私から見たら完全に大人でした。

 

 

でも、今はそういう時代じゃないですね。

 

 

価値観が多様化して、大人の型も典型的なものがあるわけじゃないですから。

 

 

こうなってくると、ひとくくりで大人というものが存在するのじゃなくて、

 

 

個人個人が試される時代になってきました。

 

 

著者の一田憲子さんのように、生活の場面において気の利いた言葉なんかワタシには言えません。

 

 

あえて言うなら、「大人は信じるな」かな。

 

 

厳密に言うと、信じられる大人と信じられない大人がいる。

 

 

だから、「しっかり見極めることが大事だよ」

 

 

ここまで生きてきて思うことは「ボーッとしていても歳はとる」

 

 

「そして、それなりにしていれば大人の振りはできる」

 

 

だから、まだ大人でないあなたたちは、それを見極めることが大事だ。

 

 

変な大人に出会って、まとわりつかれたら大損害。

 

 

本当に変な大人に出逢えたら、人生は最高に豊かになるかもしれない。

 

 

じゃあ、どうやって見極めればいいの?

 

 

「だいじょうぶ、いっしょうけんめいにいきていればかならずみきわめられるから」

 

 

グッドラック! 

 

 

 

 

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いつか、ここではないどこかへ

いつか、ここではないどこかへ

 

中学生くらいのときかなぁ、ワタシもこんなふうに思っていました。

 

角野栄子さんの『イコ トラベリング 1948-』を読んで、思い出しました。

 

この本は角野さんの自叙伝的物語と帯に書いてありました。

 

主人公のイコは、栄子(エイコ)=イコってことなのかしら。

 

戦争の傷跡が残る1948年から物語が始まります。

 

イコ、中学2年生、13歳です。

 

英語の授業で、現在進行形に出会って

 

「イコの足元から頭の天辺(てっぺん)まで、びーんと鋭い音が貫いた」んですね。

 

「この言葉って素敵じゃないの! こういうふうに生きて行けたら…」

 

この本を読んでいて、時代背景は違うけど、自分の中学~大学時代を思い出しました。

 

自分も、いろんな人に出会って落ち込んだり勇気づけられたりだったなぁ、って。

 

今思うと、あの頃は生きてることが冒険だったような気がします。

 

そして、いつかここではないどこかへ…って思っていたような。

 

角野さんと言えば『魔女の宅急便』が代表作ですが、

 

角野さん自身の原点を垣間見た思いで、親しみが倍増しました。

 

アメリカに行った中学の同級生からの手紙は、まるでワタシ自身がもらったようにワクワクして読みました。

 

「こっちの人たちは、言いたいことははっきりと言うし、私の言うこともきちんと聞いてくれるし・・・。」

 

「学生はよくしゃべるの。教室でもすごい勢いで、自分の考えを言ったりするのよ。」

 

「わたしにも『どう思う?』って聞いてくる。」

 

「とっても親切で、わたしがもぞもぞ言ってることを一所懸命聞き取ろうとしてくれるの。」

 

「なんとか分かるまで説明してくれるのよ。」

 

「話す事って大事ね。通じないと思っても、まず話してみること、これは私のアメリカでの体験、第一号よ。 戦争する前、大人たちがもっと話し合えば、よかったのに・・・そう思ってしまう。こんなに話し掛けるのが好きなアメリカ人だもの。辛抱強く話せばわかり合えたかもしれない。」

 

なんかいいなぁって思いました。

 

若者がいろんなことを経験しながら、何かを学び取っていくことってすばらしい。

 

これって希望ですよね。

 

この小説を読んだ後は、なんか、すがすがしい気持ちになりました。

 

 

 

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ダイソンの掃除機に性格を変えられた

ダイソンの掃除機、恐るべしです。

 

何がスゴイかって、性能の話ではありません。

 

ダイソンの掃除機の性能が良いってことなんか皆さんよくご存知でしょう。

 

ワタシが恐るべしと思ったのは、ワタシの性格を変えてしまったからです。

 

正直なことを言うと、掃除は好きではありませんでした。

 

散らかった部屋が好きなわけではないのですが、

 

掃除をすることを考えると面倒なのでついつい後回しにしてしまうことが多いのです。

 

掃除機を出してくるのも面倒くさいのです。

 

掃除機って、階段下の収納スペースや家の奥の方の納戸に収めていることが多いですよね。

 

取り出すことを考えると、それだけで面倒だなって思ってしまうのです。

 

ホースを構えて本体をゴロゴロ転がすのも、思うようにいかなくて苦労します。

 

電気掃除機がなかったらもっと面倒なのだから、これくらいで文句言うな!っていう話なんですが・・・

 

だから、家族もワタシのことを掃除嫌いだと思っていたらしい。

 

でもね、ダイソンの掃除機を購入したら性格が変わってしまったのです。

 

あれほど面倒だった掃除なのですが、気がつけば掃除機を握っているまでに。

 

充電スタンドにスタンバイしているものですから、

 

近くを通ると目に入って、ついつい掃除機を手にとってしまうのです。

 

ゴミが吸い込まれるところが見られるのもやる気を起こさせます。

 

手にとったときの感覚も、いわゆる掃除機をかけてる感覚じゃないんです。

 

このままどこまでも行けそうで、床だけじゃなくて壁の上の方まで・・・

 

これは、掃除機がけのイメージを完全に変えましたね。

 

道具って大事なんだな、と改めて実感しました。

 

掃除が楽しくなりますよ、ぜひお試しを!

 

そういえば、配送されたときの梱包を解くところからワクワクでした。

 

今までで一番心を揺すぶられた梱包技術でした。

 

あくまでもワタシ個人の感想です、とお断りをしておきますが(念のため)。

 

 

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「仕事がサクサク進む」と言うひと

もう、10年以上前になりますが、

 

このフレーズが口癖の人が職場にいました。

 

やたら聞こえてくるんです、「あぁ~、仕事がサクサク進む」って。

 

それまで、このフレーズを聞いたことがなかったものですから、

 

なんだか気になって気になって。

 

後にも先にもこの人からしか聞いたことがありません。

 

それくらい強烈にその人とこのフレーズが結びついています。

 

もちろん、意味も分かるしニュアンスも伝わってきます。

 

ただ、自分でこのフレーズは使わないな、と思っていました。

 

ところがです、最近、仕事をしていてこの感覚をはじめて知りました。

 

まさに、「仕事がサクサク進む」です。

 

おもしろくない仕事です、できることなら後回しにしたい。

 

誰かがやらなくてはならない仕事なんです。

 

期限が決められているので、間に合うか?というプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、

 

ひたすら頑張る毎日なのです。

 

職業に貴賤はないとは思いますが、仕事にはおもしろいものとつまらないものがあります。

 

いま取り組んでいる仕事は正につまらないものです。

 

やっても誰かが喜ぶわけでもないし、自分の技量が上がるわけでもない。

 

ただただ、誰かがやらなくてはならない仕事。

 

いつもは嫌なものは後回しにしてしまう自分が、今回ばかりは一生懸命・・・

 

なんとか目途が立ちそうな今、この感覚・・・

 

そうです、「仕事がサクサクすすむ~」です。

 

この気持ち良さを初めて感じました。

 

自分は「仕事ができる人間」って感じるかも。

 

与えられた仕事を期限までに仕上げる。

 

無理と思える短期間でも、何とかやりおおせることができれば、

 

自分は「できる人間」と感じることができて気持ちがいいのかもしれません。

 

あぁ、これだったのですね。

 

でもなぁ、やっぱりダメです。

 

こんな仕事ばっかりだったら、これ以上長くは続けられそうもありません。

 

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明日死ぬかのように生きろ、永遠に生きるかのように学べ

明日死ぬかのように生きろ、永遠に生きるかのように学べ

 

マハトマ・ガンジーの言葉と言われていますが、けだし名言です。

 

人生も半分をとっくに過ぎて、残り時間も多くはないと感じる身としては、

 

何かを始めるにしても、考えてしまいます――

 

死ぬまでにモノになるのだろうか?

 

ピアノやギターを始めてみたいが今から始めても・・・

 

こんな具合に。

 

ましてや、新たに外国語の習得を目指すなんて!

 

だから、この言葉がリアリティーをもって迫ってきます。

 

まさに、あした死ぬと思ったら習得が困難なものに挑戦する気にはなれない。

 

永遠に生きるかのように学べ!は、けだし名言です。

 

60歳を過ぎてから英語を学び始め、イギリスの永住権を取るまでになった、

 

・・・という方のお話しを聞いてきました。

 

この方のお話しに勇気と希望をもらいました。

 

まずは短期滞在の語学学校から始めて、渡英をくり返しついには永住権を取得するまでに。

 

大変な苦労があったと思いますが、すごいことだと思います。

 

残り時間を計算している自分が情けない。

 

縮こまっていてはいけない!

 

背中を押してもらいました。

 

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作者の声が聞こえてきそうな本です

作家の高橋源一郎さんのショートエッセイ、最高です!

 

現在も毎週放送されてるラジオ番組の冒頭約3分の語りです。

 

これが2年分まとめて本で読めるなんて!

 

この本はNHKのラジオ番組「飛ぶ教室」の冒頭エッセイを収めたものです。

 

高橋源一郎の飛ぶ教室: はじまりのことば (岩波新書 新赤版 1948)

 

金曜日の夜、このラジオ番組を聞くのが楽しみです。

 

いつもは自宅で、時には車の中で…

 

静かな語り口調に聴き入ってしまいます。

 

作家自身の肉声でエッセイを読み聞かせてもらえるなんて!

 

考えてみたら、これって最高の贅沢ですね。

 

同時代に生きてる者の特権ですね。

 

この3分間だけでも聴く価値があると思っていたものですから、

 

本を見つけたときは迷わず手にしました。

 

 

改めて読んでみても、やっぱりいいですよ。

 

ラジオを聴いている人なら、源ちゃんの声が聞こえてくるでしょう。

 

最近は、こんなラジオ番組は少なくなってしまったと感じます。

 

ラジオの向こうから語りかけてくる番組です。

 

本のはしがきでご自身がこんなふうに書いていますー

 

ぼくは作家だから、紙の上にことばをつづります。でも、そのことばも、ほんとうは「声」なんじゃないかと思います。いや、「声」であってほしい。ラジオから流れる「声」であってほしい。ラジオから流れる「声」のように、親しい人がすぐ近くでしゃべっているときの「声」のように。いつの間にか聞きいってしまう。そんな「声」のようなことばを書きたいとずっと思っています。だとするなら、この本もまた、「ラジオ」みたいなものかもしれません。

 

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