モヤモヤを抱えて今日も生きる。

とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

男だって「おしゃべりしたい!お茶したい!」

おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門』を読みました。

 

おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門  ――暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信

 

今までなんとなく感じていたことが、ここに言語化されていました。

 

清田隆之さんには他に共著『どうして男はそうなんだろうか会議 』というのがあるらしい。

 

まだ、読んだことがないのですが、興味があります。

 

ワタシ自身、「どうして男はそうなんだろう」と思うことが多いからです。

 

からかっているときは「ギャグじゃん(笑)」という空気を強要し、からかわれた際は自虐ネタにしてリアクションするしかなかった。p.54

 

そうそう、こういうリアクションしか取りようがなかった。

 

真面目に傷ついたりするのは、認められるリアクションではなかった。

 

自覚のないまま男尊女卑的価値観を小学生にばらまく担任の先生、女子を容姿でジャッジする傲慢なクラスの男子たち、「女らしさ」の幻想を押し付けてくる過去の恋人たち、痴漢や性暴力の加害者男性、ブラック企業的な環境に過剰適応してしまっている男性社員たち、婚活で出会ったまったくコミュニケーションの取れない男性たち、家事スキルが皆無なままでも許されてきた夫、人に弱みをさらけ出せない男たち、自分の感情を言語化できない男たち・・・p.70

 

えっ?これ、ワタシのことですか?

 

そう思うくらい、見事に言い当ててます。

 

はい、こんな世界の中で生きてきました。

 

これじゃ、まともに人と付き合っていかれないと思う。

 

特に男以外の人間とは、ね。

 

女性から見たら男性は得体の知れない動物ですよね。

 

何考えているのかわからない。

 

小学校高学年あたりから中学生にかけて、女子からそんなふうに見られていたような気がします。

 

今から思えば、の話ですが。

 

人とまともに付き合えるようになるには、どうしたらいいのか?

 

一人ひとりが自分自身を見つめ、背景にある社会構造についても学びながら、自分を表現するための言葉を耕していくしかない。それをしない限り、我々は自分との付き合い方がわからないままかもしれない。p.71

 

そうですね、学ぶしかない。

 

そして、自分のことをちゃんと言語化すること。

 

日々を暮らす中で感じたモヤモヤを、誰かと話しながら言語化していく営み(p.11)

 

男にはこれが必要なんですよね。

 

今までやってこなかったから。

 

「ガールズトーク」の文化は男にも必要なんですよ。

 

だって、男って友達とふざけ合いや、お酒を飲んでわいわいはしゃぐことはしてきたけど、

 

ちゃんと話をするってことをやってこなかった。

 

ちゃんと聞くこともしてこなかった。

 

本当は「俺のことをわかって欲しい」という思いがあったはず。

 

清田さんが本書の最後の方でこんなふうに語っています。

 

相手の話に耳を傾け、内容を理解し、その人に見えている景色を少しずつ共有していくと、「その感じ、なんかわかる!」と、自分の中に記憶や感覚が呼び起こされる瞬間が訪れる。それを相手に伝え、理解してもらえると、不思議といい気持ちになる。感情が言語化されたり、記憶が整理されたり、自分を再発見したり、考えがまとまったり、不思議と孤独が癒えたり、不安がやわらいでいったり・・・。互いの内側にあるものを共有し、理解を深めていく過程で味わう様々な感覚こそ、「お茶する」という行為のひいてはコミュニケーションそのものの醍醐味なのだと私は学んだ。

 

そうなんですよ、ワタシが欲しかったのもコレかもしれない。

 

おしゃべりしたい! お茶したい!

 

 

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『置かれた場所であばれたい』

タイトルに惹かれてこの本を手に取りました。

 

置かれた場所であばれたい

 

念頭にあるのは『置かれた場所で咲きなさい 』ですよね。

 

渡辺和子さんが2012年に著したエッセイのタイトルです。

 

渡辺さんはキリスト教カトリックの修道女であり、

 

ノートリダム清心学園の理事長をされていた方でもあります。

 

以前に読んで、ド・ストライクの素晴らしい本だな、と記憶しています。

 

天命を信じて人事をつくしなさい!ってことですよね。

 

宗教的な言葉だと思うのですが、

 

ツベコベ文句ばっかり言ってないで、神様に与えられた場所なんだからそこで頑張れ!

 

そんなメッセージなんだと受け止めました。

 

こちら『置かれた場所であばれたい』は潮井エムコさんのデビューエッセイです。

 

SNSに載せたエッセイがバズって拡散、

 

それが出版社の方の目に留まって本にしましょうってことになったらしい。

 

まさにシンデレラストーリー!

 

そのエッセイが本書の冒頭の『学生結婚と子育て』です。

 

著者が高校生の時の家庭科の授業のことが書いてあるんだけど、

 

確かに、おもしろい。

 

それにしても、著者の潮井さんは昔のことをよく覚えていらっしゃる。

 

まだ若いから、子ども時代がそんなに昔じゃないってこともあるかも。

 

それにしても、子どものときの記憶がしっかりしてるって強みですね。

 

子どもの頃に考えてることって結構おもしろいものなんですよ、ね。

 

だから、それが聞けるだけでも楽しい。

 

ましてや、この方は幼少期を振り返って、

 

自分のことを「とんでもねえヤツだな」と感じてらっしゃる。

 

「思い込みが激しく、頑固で、大人の言うことをまるで聞かない、気難しい子」らしい。

 

「自分の気持ちを押し殺して親の言うこと全てに従っていたら、絶対に今の私はいない」

 

そうだね、よく生き残ってくれました。

 

おかげで、たのしいエッセイを読ませてもらってます。

 

 

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「世の中の見方が魅力的だから好きなんです」

存在の耐えられない愛おしさ』を読みました。

 

このエッセイ集、伊藤亜和さんのデビュー作です。

 

存在の耐えられない愛おしさ

 

「一個人としての世の中の見方が魅力的だから好きなんです」

 

伊藤亜和さんをこんなふうに言っているのはジェーン・スーさんです。

 

本書の巻末に特別対談が載っています。

 

「伊藤亜和をいち早く発見し、広く世に知らしめたジェーン・スーさん。」

 

こんなふうに紹介されています。

 

スーさんのファンのワタシは「やっぱりね」と嬉しくなりました。

 

「世の中をどうみるかはセンスだと思っていて、そのセンスが私の好みにぴったりだったので、感動してしまって。」(本文p.210)

 

わかるわぁ〜。

 

特に共感したところを引用させていただきます。

 

カップルのボートにニヤニヤしながら近づいたり離れたりしてやった。私たちはスワンボートの操縦でも異様なセンスを発揮し、ハンドルを片手で転がしながら中禅寺湖を縦横無尽に漕ぎ回った。なんとなく幸せになれない理由がわかった気がした。」(p.65)

 

「演劇のカーテンコールが好きだ。物語が終わったあと、演者たちが手を繋いで観客に挨拶をするあの光景。主人公も悪役も、殺し合ってた人たちも、カーテンコールではみんな笑顔で手を繋いでいる。私は、自分の人生の終わりがあんなふうになればいいなといつも思っている。喧嘩別れした人とも、ずっと苦手だった人とも、最後は音楽に合わせてニコニコ踊って大団円。まあ、私を嫌っている相手からするとたまったものではないかもしれないけれど。」(p.199)

 

なんでだろう? グッとくるんですよね。

 

 

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「家族」って厄介な存在だと思った

「家族」って実に厄介な存在だと思いました。

 

家族、この不条理な脚本』を読みました。

 

家族、この不条理な脚本: 家族神話を解体する7章

 

韓国の家族事情を書いたものなんですが、

 

日本のことも出てくるし、

 

似てるところもいっぱいあって参考になります。

 

「家族という脚本」という視点がとてもいい。

 

家族とは堅固な脚本のようなものだと思った。私たちは、生まれたときからその脚本通りに娘または息子としての役割を期待され、大人になってからは妻と夫、母と父、嫁と婿などの配役が与えられる。(本書から引用p.3)

 

そう言えば、改めて家族とは? なんて考えずに育ちました。

 

知らず知らずのうちに、与えられた役を演じていたのかも。

 

その役は当たり前のように頭に刷り込まれていました。

 

この脚本の存在に気づくのは、よそ者が舞台に登場したときだ、

 

と、著者のキム・ジヘさんは言います。

 

そのよそ者とは、たとえば「性的マイノリティ」、

 

あるいは「クィア」。

 

これら、よそ者の登場によって気づくのですー

 

家族の名称が性別を前提にしてるってことに。

 

「娘」と「息子」

 

「母」と「父」

 

「嫁」と「婿」

 

これらは性別が違うだけで呼び名や名称が違ってくる。

 

呼び方が違うだけじゃなく、

 

その人に求められる役割までもが変わってきます。

 

だから、息子が男と結婚したら大変なことになっちゃうわけなんですね。

 

同性婚なんてとんでもない!」ってことになるわけです。

 

性的マイノリティをめぐる問題は家族制度が絡んでくる、

 

というのが、この本の特徴です。

 

少子高齢化の問題も性的マイノリティのことも、

 

「家族という脚本」という視点で見てみると興味深い。

 

読んでいるといろんなことに気付かされます。

 

韓国のことなのに日本に当てはまるところがいっぱいあります。

 

「いまの家族体制は性的マイノリティを受け入れられない」のですよ。

 

「私たちが知る家族とは、性別によって細かく構造化された体制」なんですよ。

 

「すべての人を『男』と『女』の二分法を前提に区分し、性別に基づいて期待される特定の役割があることを大前提とする」のです。

 

「男女がそれぞれの役割を遂行しながら法的に結婚し、子どもを産まなければならないという一連の家族の脚本に忠実に従うことが期待され」る社会なんです。

 

私たちが暮らす日本社会とはどのような社会なのか、

 

この本はそれを知る良い機会になりました。

 

ワタシの暮らしている社会って、こういうところだったんですね。

 

 

三浦しをんという作家の脳内が覗き見できるエッセイだ

三浦しをんさんの『好きになってしまいました。』を読みました。

 

筆者がこれまでに雑誌やら新聞やらに書いてきたエッセイをまとめた本です。

 

好きになってしまいました。

 

親戚のおいちゃん・おばちゃんの話を聞いてるような読書でした。

 

こんなことを言ったら失礼かな?とは思ったのですが、

 

著者ご本人がこんなことをおっしゃっているー

 

「エッセイではなるべく、楽しかったことや興味深かったことを書きたいと思っているが、(中略)本書をまとめるにあたり読み返してみたら、あいかわらず脳みそを一ミリも使わず、アホなことを言ったりやったりしていた。」

 

三浦さん、ってこんな方なんですね。

 

本書のあとがきの「おわりに」だって、

 

「あと行数計算間違えた。みなさまも薄々お察しのとおり、そろそろ「おわりに」も終わりに持っていこうとしていたのに、まだ十行くらいあった。」

 

普通だったら書き改めるでしょ!?

 

そのまま10行ちょっとを書き加えてしまうんだからスゴイというか・・・。

 

しかも、付け足しの文は、完全に付け足しの文です。

 

これで自分の本を完結できるところを見ると、

 

この方はスゴイとしか言えない。

 

ああ、この本はこういう人が書いたのね、と納得しました。

 

親と一緒の旅行のことも書いちゃうんだから、かなりのさらけ出しよう。

 

疲れた頭に癒しを与えてやるにはちょうど良いエッセイかも。

 

 

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「3割うまい!!」が気になるタイプ

これがキャッチフレーズの餃子の外食チェーンがあります。

 

運転中に前を走っていたトラックにこのフレーズが書いてあったので、

 

それ以来、気になって気になって仕方がないのです。

 

「3割うまい」ってどーいう意味?っていうことです。

 

感覚的にスーっと受け入れて気にならない人と、

 

ワタシみたいに気になって仕方がない人がいると思うんですが、

 

どっちが多いんでしょうか。

 

それはともかく、「3割うまい」ってどーいう意味?ということなんですが・・・。

 

やっぱり気になる人がいるようで、ネット上にはいろいろあります。

 

「うまさ3割アップ」だという人もいますが、

 

何を根拠に「3割増し」と言えるのか依然ナゾです。

 

比べる対象は他店の餃子か?自社の旧来品か?

 

そもそも、うまさを測る客観的基準なんてあるのか?

 

すっきりしません。

 

それに、3割って微妙じゃないですか?

 

「2倍うまい!」「3倍うまい!」だっていいのに、なんで3割?

 

ホームページを訪ねてみると・・・

 

ぎょうざの満洲のキャッチコピーは「3割うまい!!」。これは「うまい、安い、元気!」でうまさ3割増しという意味から生まれました。また、もう一つ重要な意味があります。それは原材料費3割、人件費3割、諸経費3割でバランスの良い経営をするということです。

 

「うまい、安い、元気」でうまさ3割増し・・・ってなに?

 

「原材料費3割、人件費3割、諸経費3割でバランスの良い経営」・・・ってどーいうこと?

 

余計に、謎が深まってしまいました。

 

どうしましょ?

 

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『文庫旅館で待つ本は』を読んだらズシンっと来た

強烈な余韻を残す物語でした。

 

文庫旅館で待つ本は 』を読みました。

 

文庫旅館で待つ本は (単行本 --)

 

まさかこんな展開になるとは。

 

あらすじ

戦前から続く小さな旅館・凧屋の別名は文庫旅館。名物の図書スペース「海老澤文庫」には、いまは名前しかわからないかつての常連・海老澤氏が寄贈した膨大な蔵書が揃い、若女将の丹家円(たんげ・まどか)があなた向けの一冊をそのなかからおすすめしてくれることもある。お客と同じにおいがする=宿泊者にいま必要な物語が不思議とわかる円だが、自分自身はその「利きすぎる」臭覚ゆえに小説が全く読めないという。(筑摩書房のホームページより引用)

 

自分の全く知らない世界を垣間見せてくれるのも本の大きな魅力だが、

 

「これは自分のために書かれた本じゃないか?」と思うような出会いもある。

 

これもワタシが本を読み続ける大きな理由なのかもしれない。

 

「ここに私のことが書かれている!」

 

そんなビックリする体験をお持ちの方はワタシ一人ではないでしょう。

 

この本を読んでいて、初めの方では「出来すぎでしょ?!」と、

 

鼻白んでしまうところもありました。

 

だって、いくら目利きだっていっても「臭いでわかる」なんてね。

 

でも、最後の方はグイグイ引き込まれてしまいました。

 

背景に文豪の名作があるっていうのが大きいですね。

 

そう言えば、と後から思うとシーンが浮かびます。

 

「作り話の中にときどき覗く"本当"を探しているの。」

 

小説が好きだった円の祖母が、

 

どうして小説を読むのか?と、円に尋ねられた時の返答です。

 

「三冊目」の一節です。

 

「読書が、女将の人生の欠けた部分を埋める"神様"だった」

 

小僧の神様』(志賀直哉=著)に出てくる神様です。

 

「五冊目」にこんな一節がありますー

 

「円の体が反応するほどにおう客は、たいがい表に出せない思いを抱えていた。そして凧屋旅館の文庫には、彼らと同じにおいを放つ書物があった。」

 

「大抵の客はその書物を読むことで、抱えていた思いの出口を見つけ、喜んでくれる」

 

読書にはこんな効用があるんですよね。

 

わかる、わかる。

 

 

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