モヤモヤを抱えて今日も生きる。

とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

ノリの良い政治家なんかいらない

いまごろ?なのですけど、スクラップにしていた新聞記事を読みました。

 

6月28日付の朝日新聞の「日曜に想う」です。

 

書いているのは朝日新聞コラムニストの吉田純子さんです。

 

沖縄の全戦没者追悼式で自らの詩を朗読した中学生の様子が書かれていました。

 

地上戦を体験した曽祖母の言葉を静かに聞き、受け止め、葛藤し、「自らの経験」とするまで咀嚼した跡を映す、覚悟の宿る目だった。

 

すぐにネットで検索して、遅ればせながらワタシもこの演説を見て聴きました。

 

一方、こちらは同じコラムの中にあった、別の人*についての一言。

 

(別の人*とは、とある著名人で、追悼式に同席し挨拶をした、あのお方です)

 

自分がしゃべると他人の声が聞こえなくなるのと同様、自ら陶酔したら相手の心を気遣いにくくなる。

 

ご機嫌な自分がクローズアップされることを意識した段階で、語りかけてくるすべての言葉はシャットアウトされる。もう届かない。

 

ズバッとおっしゃる。的確。

 

コラムのこの後では、世界最高峰のピアニストであるマルタ・アルゲリッチさんに言及。

 

広島市の「ひろしま文化大使」でもあるという。

 

この方も「聴く人」だ、と。

 

コラムの最後にはこんな言葉がー

 

異なる価値観を理解する途方もない努力を重ね、真摯に感性を磨くのが政治家の本来の姿勢だろう。

 

「乗りの良い」政治家なんかいらない!

 

政治家にそんな愛嬌を求めてはいません!

 

いつの時代だって政治家のやるべきことは、対話と知力を尽くし、戦争をもたらしかねない全ての芽を摘むことのはずだ。

 

ワタシもそう思います。

 

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足掻き続ける人でありたいと思った

筑紫哲也と自由の森大学 「文化によるまちおこし」に挑んだ人々 (集英社新書)』を読みました。

 

長いタイトルだが、どれも削れない大切な要素だと感じる。

 

舞台は大分県の西端にある日田市、ここは筑紫哲也さんの故郷。

 

左利きであることで筑紫さんは自分のことを「少数派」だと認識していたよう。

 

しかも、小学校、中学校、高校と全てで、入ったところと出たところが違うという。

 

父親の仕事の関係で東京で育つが、戦況悪化に伴う学童疎開で大分県日田郡小野村に。

 

太っていていじめられた経験も。

 

おまけに典型的な軍国少年だったようで、

 

「日本は負けない、神風が吹いて絶対に勝つのだ」と言っていたらしい。

 

 このようなことを幼い私に刷り込んだ大人たちが、戦争が終わって豹変するのを、目の当たりにしたわけですね。つまり、ころっと変わって民主主義だと言い出した大人たちのいいかげんさが私の心に強く焼きつきました。簡単に言いますと「大人は信用できない」と痛感したのです。(p.25)

 

このあたりに筑紫さんの原点があるのでしょうか。このとき10歳だったそうです。

 

筆者が「おわりに」でこんなふうに記していますー

 

本書は『筑紫哲也と自由の森大学』というタイトルだが、全編を貫くテーマは「衰退していく地方で足掻く人たち」だ。(p.273)

 

その通りだった。筑紫哲也さんと自由の森大学のことは聞いていたので、どんなものだったのか興味を持ってこの本を手に取った次第。

 

そこには文化によるまちおこしに挑む人々がいた。

 

「おわりに」には続いてこんなふうにー

 

彼らの足掻きは世代を超え、終わることがない。

時間を縦軸とした足掻きの螺旋は、いつまでも続いていくだろう。(p.273)

 

読み応えたっぷりで、読後に宿題をたくさんもらった気分だ。

 

ワタシも足掻き続ける人でありたいと思った。

 

どうすりゃあいいんだ?


筑紫哲也と自由の森大学 「文化によるまちおこし」に挑んだ人々 (集英社新書)

 

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作文の宿題も生成AIでできちゃったら

昨日(2026/7/12)の朝日新聞の「天声人語」を読んでびっくりしたりやっぱりそうかと思ったり。

 

内容は、生成AIをどこまで使うか?というものでした。

 

元ネタは科学雑誌「サイエンス」に発表された論文だそうです。

 

アメリカの大学生に聞いたところ、4割の学生が月に一回以上使っていたと。

 

日本はどうかというと、9割以上がふだんから使っているということでした。

 

データベースが違うので単純には比べられないのですが、割合の違いに目が行きました。

 

日本の大学生の方が生成AIに頼る割合が多いのかなぁ?

 

だとしたら心配です。この違いはどこからくるのか?

 

さらに興味を引いたのはアメリカの別のこんな研究です。

 

被験者を3グループに分けて作文を書かせる実験です。

 

3グループとは「生成AIを使う」「検索エンジンを使う」「何も使わない」。

 

「すると生成AIを使った人の8割は、直後でも自分の文章を思い出せず・・・」

 

そうだろうなぁ。これは経験的にわかりますね。

 

これって、自分の頭を使ってないってことですよね。

 

ほとんど何も考えてないってこと。

 

これですよね、これ!

 

子どもが生成AIに頼るようになって怖いのは!

 

学校で、作文を書いてくるようにと宿題を出されたとき、子どもがAIを使ってたら意味がないですよね。

 

自分で考えなかったら、作文を書く意味がなくなっちゃいますから!

 

大人が仕事上で生成AIを使うのと決定的に違うのはここだと思います。

 

大人はできた文書で仕事になりますから。

 

自身の下手な文章より評価がずっとよかったりするかも。

 

まぁ、こんなことばっかりしていると成長しないかもしれないけど・・・。

 

他方、子どもの場合はこれで報酬をもらってるわけじゃないですからね。

 

あくまで学びのためですからね。

 

いくら優れた文章ができたからって本人に得はありません。

 

あったとしても一時凌ぎ。

 

でもね、これだったら楽チンですから。

 

子どもがこの味を知ってしまったらやめられないかも。

 

こんなことが普通になってしまったらどうすればよいのでしょう!

 

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親がそんなんじゃ困るんだよっ!

それがやさしさじゃ困る』を読みました。

 

それがやさしさじゃ困る

 

タイトルに惹かれました。

 

昨今の教育者は「子どもに理想を押し付けない」。

 

この「姿勢が、結局のところ『教育者』として子どもに図らずも影響を与えてしまうことを忌避する傾向につながった」。

 

これは親についても言えることで、「子どもへの配慮を怠らない『理解のある親』が、それによって自身に安全を確保していることにならないか」。

 

子どもは大人が思うよりずっと自由を望んでおらず、むしろ導いてほしいと思っているのに、「あなたの好きにしなさい」という口実で、それにどう応えるかを真剣に考える大人が減ったとしたら、それは子どもの不幸である。(p.187)

 

「あなたの好きにしなさい」って。

 

それがやさしさじゃ困るんだよっ!ってことです。

 

それで思い出したのがこんなフレーズです。

 

「親がそんなんじゃ困るんだよ!」

 

こちらはワタシが実際に子どもから言われた一言です。

 

どんな場面だったか忘れてしまったが、このフレーズは鮮明に憶えています。

 

これを言われたときは、かなりショックでした。

 

この本に、こんなことが書いてありましたー

 

知人で工芸作家の渡邊佐知子さんが、親は子どもに対して、いい生き方を見せようと強がったり、カッコつけたりしてしまうものだけど、むしろ「わたし程度でも生きていける、というのを見せればいい」と言っていて最高だと思った。(p.213)


なんだ、よかったんじゃん!

 

筆者は続けて、こんなふうにも書いていますー

 

彼女の言葉は「親(大人)は子どもの手本たれ」という考え方とは対極だが、実際には「わたし程度」という親のリアルな生きざまが目の前にあれば、子どもに影響を与えないわけがないのだ。(略)小さい子どもは、まさか親が自信のないたよりなさの中で生きているなんて想像しない。ある年齢まで(p.213)

 

昨今の親はみんなよく勉強していると思います。

 

一昔前と違って子どもへの配慮も格段に行き届いていると思います。

 

ただ、そのために及び腰になってはいませんか?

 

「理解のある親」になり過ぎてはいませんか?

 

子どもが望んでいるのは、もっと生身の人間の対応かもしれない。

 

多少ものわかりが悪くても自分の素を出してぶつかってくる大人。

 

子どもは自分の親にもこんなところを求めているのかもしれない。

 

そんなことをあれこれ考えさせられました。

 

 

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こんなムチャクチャってありですかっ?!

サッカーの話なんだけど、国の代表チームが対戦する大きな大会でね、

 

アメリカの選手が相手チームの選手の足を踏んで退場処分になったんだって。

 

この処分を受けた選手は、規則では次の試合に出られないことになっているんだ。

 

でもね、FIFA(国際サッカー連盟)っていう主催してる組織が「次の試合に出てもいいよ」ということにしたんだって。

 

退場処分を一年間様子見で待ってあげるんだって。

 

なんでだろうね?

 

どうやら、この選手が次の試合に出られないってことを知ったアメリカの大統領がFIFAの会長さんに電話をしたらしいんだ。

 

そうしたら「試合に出てもいいよ」ってことになったんだよ。

 

反則した選手が「次の試合に出てもいいよ!」ってなった理由は教えてくれないけどね。

 

・・・

 

どうでしょう? こんなふうに説明したら子どもにもわかってもらえるかな。

 

なんで? なんで? って質問が続いてくるよなぁ。

 

以前にもこのブログに、FIFA平和賞なるものを皮肉って書いたことがあります。

 

映えある第一回目の受賞者がトランプ氏だってこと。

 

しかもタイミングがノーベル平和賞が発表されたすぐ後だった。

 

皮肉っぽいことを書いちゃいましたが、こんなことはホントはスルーしたい。

 

まともに批判するのも疲れてしまう。

 

皮肉でも言わないと、やってられない。

 

でも、「おかしい」と感じたら言わないと!

 

「ああ、また言ってるよ」で終わらせてはいけないような。

 

子どもはちゃんと見てるから!

 

朝日新聞の社説(2026/7/8付)もこんな言葉で結んでいましたー

 

「スポーツを政治の思惑によってもてあそぶような独善があってはならない。」

 

ほんと、その通りです。

 

www.asahi.com

 

moyamoyaikiru.hatenablog.com

 

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「生きる」ってことを考えちゃうね

なんなんだ! これは凄すぎる!

 

読み終わった後に、こんな言葉しか出てこない自分が情けない。

 

圧倒された、宮野真生子に! 磯野真穂に! 奇跡のようなこの本に!

 

急に具合が悪くなる』を読みました。

 

急に具合が悪くなる

 

感想を言葉にするに、とてもじゃないがその力量がワタシにはない。

 

圧倒された!としか言いようがない。

 

2人の往復書簡です。

 

この2人だからできた奇蹟みたいな往復書簡です。

 

「人生に深入りしないものは災いである」という言葉がいま頭に浮かんだ。

 

 磯野真穂と宮野真生子が、偶然に出会い、タイミングだと感じ、互いがそれをつかみ取ったとき、ありえないことが次々と反転して生じ始めた。やっぱりこれは起こらないことも可能だった、偶然事だけど、それは自然に生まれたわけではないのです。私たちがそこにある偶然のタイミングを見極め、そこに乗り、時間の発生をつかみ取ったからこそ、生まれたことなのです。(p.233)

 

まさに奇跡のよう。

 

 

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先輩には「さん付け」で、後輩は「呼び捨て」

サッカーのワールドカップが盛り上がっているようですね。

 

すみません、この世界のことに疎いもので・・・。

 

そんな中、関心を惹いたのは本田圭佑さんです。

 

彼の「さん付け」解説が話題になっていると・・・。

 

本田さんは解説の際に選手名に「さん」をつけてるとか。

 

調べてみたら、プロ野球でも日本ハムの新庄監督がそのようですね。

 

まぁ、一般の社会だったら当たり前のことかもしれませんが・・・。

 

悪いことじゃないし、いやむしろ良い傾向と言えますよね。

 

スポーツ界に限らず、日本社会は上下関係に厳しいって聞きます。

 

呼び方一つをとってみても、そういう社会なんだと思います。

 

中学に入った時の上下関係にはワタシもびっくりしました。

 

特に運動部なんか、たった一歳年齢が違うだけで天国か地獄か!?

 

先輩のことを「〜さん」付けで呼ぶというのは衝撃的でした。

 

後輩は、当然のことながら「呼び捨て」です。

 

大学に入ってからもそんな雰囲気が残っていて、学年が上の人には「さん」付けでした。

 

ワタシなんか、故あって同級生から3年遅れだったものですから苦労もありました。

 

年下の先輩を「〜さん」付けで呼ばなければならないし、先輩からは「呼び捨て」されるし。

 

でも、これは自分で気にしなければ良いので大丈夫だったのですが、

 

この事態に気付いた(年下の)先輩が気まずそうだったのが気の毒で・・・。

 

こんなだから、人間関係を作っていくのも苦労があります。

 

相手が先輩か同級(タメ)か後輩か?

 

一学年違うだけで人種が違うってくらいの隔たりがありましたよ。

 

ワタシがフラットな社会に憧れるのには、こんなことが影響しているのかもしれません。

 

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