モヤモヤを抱えて今日も生きる。

とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

ストライキってな~に?

ストライキってな~に?

 

ですよね。

 

若い人は見たこともなければ聞いたこともないかもしれません。

 

教科書的に言えばこんなふうに表現されるのかもしれません‐―

 

「立場の強い企業経営者に対し、労働者が賃金や労働条件の改善を求め、団結して働くことを拒否する行為。」(JIJI.COMより引用)

 

憲法で保障された権利なんですけどね。

 

でも、見たこともなければなかなかイメージできませんよね。

 

朝日新聞に朴沙羅さんの欧州季評というのがあります。

 

4月11日付は「ストライキがある生活」でした。

 

フィンランドストライキが頻発しているという話です。

 

ストライキのある生活を体験して、自分の感覚がかなり変わってきたとは感じている」

 

こんなふうに語っています。

 

朴沙羅さん自身は日本にいるとき、ストライキをしたこともなければ見たこともなかったそうです。

 

実際にストライキで電車やバスが止まったら、それは困る。不便を被る。

 

でもね、「ストライキをするのは、働く人にではなく、その人たちがストライキをせざるを得ない状況にその人たちを追い込む、企業や地方自治体や政府の方に問題があるから」

 

そのとおりですよね。

 

多くの人が経営者側ではなく、

 

ストライキをしている、せざるを得ない立場の労働者側にいるんですよね。

 

そう理解すれば、迷惑だなんてどうして言えよう。

 

不便こそすれ、迷惑ではない。

 

朴沙羅さんはこんなふうに言っていますー

 

「私がもし自分の給料が上がることを願い、病欠しても有給が保障されることを願い、自分の権利が侵害されることを嫌だと思うなら、なぜ他人のストライキを迷惑などと言えるだろう。」

 

大きな視野に立ってみれば、ストライキをしてるのは自分と同じ立場にいる仲間(味方)なんですよね。

 

実際にストライキをしている人を見て、いろんなことを考えるわけです。

 

翻って、この国はストライキをする人を見られない国になってしまった。

 

権利があっても行使しなかったら、それは絵に描いた餅と同じ。

 

これはやばいですよ。

 

「他人が権利を行使したり獲得したりするためにみんなで力を合わせる姿を見ることが普通」

 

こんな社会が一方にはあるのです。

 

学校で「労働者にはストライキ権があるのです」と教えられても、

 

使い方もわからないなんて。

 

よその国ではストライキなるものをやってるところがあるという・・・

 

こんなの、笑い話にもならない。

 

「権利を行使することは、知識として学ぶだけでなく、集団で練習する必要もある技術なのだろう。」

 

そのとおりだと思いました。

 

この記事を読んでいて思い出した本があります。

 

それが『フランスジュネスの反乱: 主張し行動する若者たち』です。

 

これ、強烈なインパクトでした。

 

参考にした記事↓

www.asahi.com

 

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女子高は残してもいいかな

高校は男女共学が基本だと思います。

 

その上でですが、今ある別学校を廃止するとなると・・・

 

男子校は廃止した方がいい、とはっきり言えますが、

 

女子校は残してもいいかな、ってちょっと思ってしまうのです。

 

埼玉県で、県立の男女別学校に関するアンケート(高校生保護者対象)を実施するらしい。

 

それには、こんな事情があるようです。

 

埼玉県教育委員会は、令和5年8月30日に埼玉県男女共同参画苦情処理委員から「埼玉県立高校において、共学化が早期に実現されるべきである」との勧告(※1)を受けたところです。また、当該勧告に対する「是正その他の措置」について、令和6年8月31日までに報告を求められています。引用元URL:https://www.pref.saitama.lg.jp/f2207/kyougakubetugakukoukouseihogosya.html

 

教育委員会も苦しい立場なのかもしれませんが、共学化は時代の流れでしょう。

 

男子校や女子校などの存続を望むのは卒業生やそれに連なる人たちが多い。

 

気持ちの問題って大きいのでしょうね。

 

この問題って気持ちが絡むからややこしくて議論には絡みたくないんです。

 

だから、軽めに留めておこうと思うのですが、

 

女子高を残してもいいかなと思っているのは、アファーマティブアクションの観点からです。

 

男女が一緒だと、

 

「重いものは男子が運んで!」

 

「生徒会長は男子に譲ろうかな」

 

こんな考えが浮かんでしまうかも。

 

女子だけだったら、その人の特性で判断するけど、

 

男女がいると、どうしてもジェンダーバイアスに引っ張られそう。

 

というのは、社会がまだまだ変わらないから。

 

マミートラックって言葉があります。

 

仕事上で、母親であるがために他の人と違うトラックを走らざるを得ない。

 

そこは、出世や昇進などと縁遠いコースの場合が多い。

 

母でなくても女性であるだけで、男性と扱いが違うところがあります。

 

「職場で1軍の夫を、2軍の妻が家庭内で家事育児を担って支える。」

 

朝日新聞で読みました。(2024年4月5日付リレーおぴにおん

 

社会保障・保育政策研究者の前田正子さんの弁です。

 

「1軍の夫には長時間労働や転勤があり、2軍の妻は短時間勤務しかできなかったり、夫の転勤に伴い退職したりする。その結果、1軍の働き方が温存されてしまう、という構造があります。」

 

こういう現実を聞くと、どっちがいいのか?

 

女子校や男子校を残すべきか、共学にすべきか・・・

 

母校がなくなるのは寂しい・・・なんて言ってる場合じゃないのははっきりしている。

 

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他人に迷惑をかけてはならない?

「他人に迷惑をかけてはいけません」

 

こんなふうに子どもに注意をしていませんか。

 

もしかして、あなた自身こんなふうに言われて育ちましたか。

 

このフレーズを聞いて「あたりまえじゃん」と思いますか。

 

もし、そうだとしたらあなたは「いい子」なのでしょう。

 

でも、この「いい子」って大人から学んだ「いい子」じゃないですか。

 

言ってしまえば、大人にとって都合の「いい子」じゃないか。

 

ケアしケアされ、生きていく 』に、そんなことが書かれていました。

 

著者は大学で教える准教授の竹端寛さん。

 

竹端さんが普段学生と接していて思うそうです。

 

この、法律でもなんでもないルールに学生たちが縛られていると。

 

縛られていうというよりも、

 

〈自分自身の行動規範としてしっかり身につき、日々気にして生きているようなのです。〉

 

だからかもしれませんが、

 

〈「相手の顔色をうかがう」学生が本当に多い〉とも。

 

他人に迷惑をかけてはいないか?と常に気にしていると、

 

相手の顔色をうかがうようになるし、

 

そうなると、自分の思いや意見に蓋をしてしまいます。

 

自分優先じゃなくて他人優先になってしまう。

 

自分を抑え込んでまで他人がどう思うかを気遣う「いい子」

 

これは、親や先生などの大人から学んだ「いい子」です。

 

不登校リストカットオーバードーズなどは

 

「いい子」が我慢できる限界を超えたサインなのかもしれません。

 

子どもは育ちの中で自我が目覚めます。

 

他人と違う自分自身というものを発見します。

 

このとき、大人である私たちがどう関わるか、

 

この関わり方次第で、その子の考えは大きく変わってきます。

 

〈「親の言うとおりにしなさい」「ちゃんと言うことを聞きなさい」と子どもの言動を押さえつけるのか、

 

親が子どもの言いなりになるのか、

 

なぜ大人の言うことと違うことをしたがるのかと子どもの意図を汲もうとするのか・・・〉

 

大人の関わり方次第で子どもの考えが変わってくるなんて、責任重大ですね。

 

親になるって大変なことなんだ、って改めて思います。

 

学び続けなくっちゃならないですね。

 

子育ては大人にとっての自分育てでもあるなぁ、と実感します。

 

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「わたしは日本人です」ってどうして言える?

日本人の両親の間に生まれ、

 

日本に住んで日本語を話すワタシは、

 

自分が日本人であることを疑ったことがない。

 

他の人から聞かれたこともないですからね。

 

こんなワタシが「あなたはどうして日本人ですって言えるの?」

 

と聞かれると、説明するのに窮してしまいます。

 

こんなことを考えたのは、新聞の特集記事を読んだからです。

 

〈「日本人」を決めるのは〉というタイトルの記事です。

 

記事を読んで思いました。

 

ワタシは〈自分が「日本人」であることを疑ったことがない人〉であると。

 

そして、そういう人こそ

 

〈無意識の抑圧者になっていないか、自問すべき〉だと。

 

そう、こういうことを意識しないで生きていると、

 

知らず知らずのうちに差別に加担しちゃうんですよね。

 

ネットで調べてわかったことですが、

 

日本国内には外国にルーツを持つ子どもや若者が180万人以上いるそうです。

 

国籍もいろいろで日本国籍の人もいます。

 

ワタシの周りにも少なからずいます。

 

彼ら・彼女らと接するときにいつも思います、

 

ワタシは自然に接しているだろうか?と。

 

「差別はいけない」と普段は思っていても、

 

心の底の方には差別意識が潜んでいないか、と。

 

記事の中に興味深いことが書いてありました。

 

マライ・メントラインさんの話です。

 

ドイツでは2016年に公共放送が特集番組を作ったそう。

 

何が「ドイツ人」を決めるのか、

 

「言語」「価値観」「見た目」などから出演者が討論したとか。

 

そして、ここで確認したことがこれです。

 

「私たちの社会は民主主義と男女平等を重んじる」ということ。

 

こういうことが大切な共有価値だってこと。

 

こういう価値観を持っている人がドイツ人だってことですよね。

 

すごいなぁ、日本でもやってみたらいいんじゃないかなと思います。

 

やるべきですね、やれるかな。

 

こんなことができるドイツってすごいなと思います。

 

そして、もうひとつ、

 

日本の首相がよく使う「国民の皆さん」という呼びかけ、

 

ドイツでは使わないそうです。

 

その代わりに同じ場面でドイツの政治家が使うのは

 

Mitbürger  

 

「国に共に暮らす人々」という意味らしい。

 

こういう言葉があること自体すごい!

 

自分の中の〈「ザ・日本人」像〉を常にアップデートしないとな、

 

こんなふうに思いました。

 

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新学期スタートにこんなふうに考えた

4月、春ですね。

 

新しい環境で生活をスタートさせた人もいるでしょう。

 

そんな若者に老婆心ながらアドバイス

 

というか希望をお伝えしたい。

 

一つ目は、自分のことは自分でやる!

 

たとえ幼くたって自分のやれることはいっぱいある。

 

誰かがやってくれるのが当たり前とか、

 

面倒だから、とか言って力を出し惜しみしないで!

 

二つ目は、他の人に助けを求められるようになろう!

 

実は、これが大事。

 

だけど、なかなかできない、むずかしい。

 

自分でやってもできないものは他の人に助けを求める。

 

「助けて」「教えて」「手伝って」

 

これが大事!

 

簡単そうでいて、これがなかなかできない。

 

誰に聞けばいいのか、誰ならやってくれそうか、

 

やってるうちに、人を見る目も養える。

 

そして三つ目は、できたら他の人を助けてあげる!

 

難しそうだけれども、これは誰でもできます。

 

できない、と思っちゃってるだけなんです。

 

自分なんかに他の人を助けるなんてできっこないと。

 

それなり・・・でいいんです。

 

完璧に手助けできなくても構わない。

 

一緒にいてあげることが手助けになることだってあるし、

 

自分ができなくても助けてくれそうな人を一緒に探すことはできるかも。

 

それだけで十分人の助けになることもあるんです。

 

この三つを意識して生活したらいいんじゃないかと思うのです。

 

こんなふうに思う人が周りにたくさんいたら、

 

そこはもう、いい雰囲気の空間だと思います。

 

そういう場所で人が育つのだと思います。

 

自分もその場所を作っているひとり

 

新しい環境で生活をスタートさせた子どもたち・生徒たちが

 

健やかに育ってくれることを願って止みません。

 

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中学校の音楽の思い出は最悪だった

「皆さん毎日の仕事や生活の中では楽しいことばかりではなく大変なことや辛いこともあるだろう。そんな日常をバンドというコミュニティーの中で音楽を奏でるという共同作業で彩っていく。音楽は人と人をなだらかに繋ぐ魔法なのだ。」

 

音楽プロデューサーの亀田誠治さんが書いた朝日新聞の記事を読みました。

 

亀田さんがゲスト審査員として参加したイベントについて書いたものです。

 

このイベント、「同じオフィスビルに入っているさまざまな企業の社員達で結成されたいわば "オフィスワーカー・バンド“ がこの一年の成果を発表するライブイベント」なんだそう。

 

いいなぁ〜、ゆたかだなぁ〜、と羨ましく思いました。

 

出会いって大事ですよねぇ。

 

人との出会いもそうですが、何かとの出会いも自分の人生に大きな影響を与えます。

 

音楽との出会いが私にとってのそれです。

 

ワタシの場合は出会いが悲惨だったのです。

 

学校の音楽の授業には恨みしかありません。

 

とくに中学校の音楽の授業は悲惨でした。

 

楽しかった!という記憶が一つもないんです。

 

楽器もうまく弾けないし歌も上手じゃないワタシは、

 

音楽というものに劣等感を持ってしまいました。

 

「音楽は苦手」

 

こんなふうに。

 

先生も怖くて親しみを持てなかったのです。

 

おまけに、とんでもない失態をやらかしてしまったのです。

 

クラシック音楽の鑑賞の時間です。

 

あれは、ベートーヴェンの田園だったかな。

 

目を閉じて机に突っ伏して聴いていたワタシはいつしか寝入ってしまったよう。

 

気がついたら、周りに人の気配がない。

 

先生もいない。

 

後ろを振り向くと数人の友達がニヤニヤ、

 

そのともだち曰く、

 

授業が終わって「起立!」って言われても立たない奴がいる。

 

そうしたら、先生が「しーっ」って言ったらしい。

 

みんな、そーっと音楽室を出ていって教室に戻ったのですね。

 

その光景を想像するとゾッとしました。

 

数人の友人が残っていてくれたことがせめてもの救いでした。

 

意地の悪い笑みを浮かべながらでしたが。

 

音楽の時間は4時間目、教室に戻るときはちょうど昼休みでした。

 

みんなこっちを見てクスクス笑ってるし、最悪でしたね。

 

どういうわけか、他のクラスの人にまで知れ渡っていて、

 

廊下の窓からこっちを指さしてクスクス笑っているのを何度も見かけました。

 

ああ、恥ずかしかった。

 

・・・と、こんな具合に音楽との相性は悪かったのですが、

 

その後、いろんな出会いがあって音楽の素晴らしさを知りました。

 

楽器もいくつか挑戦しました、今でも細々と続けています。

 

音楽っていいよねぇ〜って実感してます。

 

子どもの頃にもっといい出会いをしていたら・・・

 

なんて思うこともなくはありません。

 

子どもにとって出会いは大事ですよ。

 

これ、実感です。

 

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車を自分が動かせているなんて最高にワクワクです!

ドライブするのが好きです。

 

車でどこかに行くのが好きですが、

 

もっと正確にいうと、車の運転が好きなのです。

 

ひとりの時はもちろんですが、

 

誰かとどこかに行くときも、

 

疲れていなければ、運転を買って出ます。

 

「ありがとう」なんてお礼を言われますが、

 

「ありがとう」はこちらのセリフです。

 

「運転させてくれてありがとう」です。

 

自動車に限らず、乗り物の運転は大好きです。

 

動くものなら、なんでも運転・操縦してみたいです。

 

バス、トラック、電車、フォークリフト、ショベルカー、

 

できることなら、船も飛行機もヘリコプターも操縦してみたい。

 

他の人たちもみんな、そんな感じなのかと思っていたら、

 

そうでもない、ということに最近気がつきました。

 

みんながみんな、乗り物を操縦したいと願望しているわけじゃないのですね。

 

だから、JAF Mate の記事を見たときは嬉しくなっちゃいました。

 

松任谷正隆さんとフリーアナウンサー安東弘樹さんの対談です。

 

安東さんがこんなふうに言っています、

 

「目的地に着かなくてもいいくらい・・運転好きなんです。」

 

いいですねぇ。

 

安東さんの弁ですが、

 

「人類の英知が詰まった車を自分が動かせていることに、カタルシスを感じますね。」

 

そうそう、その感覚! わかるわぁ〜。

あっ、松任谷正隆さんの連載『車のある風景』も毎号楽しみにしてます。

 

 

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