『体育がきらい』という本を見かけて思わず手に取ってしまいました。
何に惹かれたのか? 何を求めてなのか? 自分でも謎です。
学校の体育は別段好きでもなく、そうかといって嫌いというほどでもありませんでした。
しかし、「嫌いだ!」という人が相当数いるだろうことは容易に想像ができます。
鉄棒の逆上がりができずに、残って練習している級友を見ていたし、
長距離走では、みんなからずっと遅れて走る苦しそうな友を見た。
なんか残酷・・・
自分があんなふうに晒されたらどうだろう?
そうなんですよね、体育の時間って晒されるような気がする。
この本にもそんなことが書かれていました。
この本は体育の先生が書いたものです。
「「体育ぎらい」についての理解が少しでも深まるように」と。
「「体育ぎらい」の原因や背景について、改めて正面から考えてみた」ということ。
そういえば、体育着も好きじゃなかったなぁ。
「体育座り」も「前にならえ」も。
体育の先生も元気というか、威圧的な先生も多くて。
体育の先生 = 生徒指導の先生というイメージを持っている人も多いでしょう。
体育の先生って軍人的、なんて表現もこの本の中に出てきました。
そういえば、「気をつけ!」や「休め!」も軍隊の名残?
体育の先生ってすぐにわかりますよね。
それっぽい、っていうか。
先生から変わらないと「体育ぎらい」は減らないかも。
あっ、いつのまにか体育の先生の悪口になってました、ね。
ごめんなさい。
でも、体育の先生には、一度「体育ぎらい」の目線で体育の授業を見直してほしい。
また、「体育ぎらい」だった人にどんどん体育の先生になってもらいたい。
身体を動かすって、本当は楽しいんだ!ってことを信じたい!
体育の先生! おねがいします、よ!