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とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

高校生の日記がすごい!

他人の日記を読むことはおもしろいです。

 

こんなふうに言うと、悪趣味で不謹慎に聞こえるかもしれませんが、

 

とくに、若い人の日記というものがおもしろいですね。

 

なんでなんだろう?

 

そんなことを思いながら、書棚を眺めていたらこんな本を見つけました。

 

『高校生の日記』という本です。

 

相当に古い本なのですが、捨てないでとっておいてありました。

 

高校生から日記を提供してもらって、それを資料として青年の心理を解明しようとした本です。

 

「誰にも知られたくないが、しかし最良の理解者にだけは知ってほしい内面の世界が、日記に書き記される。」

 

だからですね、他人の日記を読むのはちょっと後ろめたい気がします。

 

でも、のぞいてみたい!

 

しかも、「青年の日記は主観的内面世界の告白でもある」のだそうです。

 

その点、児童や大人の日記が事実の記録になっているのと大違いです。

 

だから若い人の日記はおもしろい、ということか。

 

アンネの日記』も、そうでした。

 

この≪隠れ家≫の生活の中では、おとなのほうがもっと苦労していると主張する人たちは、私達にのしかかっている問題の重さがどれだけのものか、認識していないのです。これらの問題とまともに取り組むには、たぶん私達は若すぎるでしょう。けれどもそれは、たえず目の前につきつけられているので、長いあいだには、なんとか解決策を見いだすことをしいられるのですが、その解決策もどうやら、現実という武器には抵抗できず、たちまち雲散霧消してしまうみたいです。こういう時代のむずかしいところはそこです。私達の中に芽生えた理想も、夢も、大事にはぐくんできた希望も、おそるべき現実に直面すると、あえなく打ちくだかれてしまうのです。じっさい自分でも不思議なのは、私がいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。だって、どれもあまりに現実ばなれしていて、とうてい実現しそうもないと思われるからです。にもかかわらず、私はそれを捨てきれずにいます。なぜならいまでも信じているからです―たとえいなやことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを。 ([グラフィック版]アンネの日記より引用)

 

これは、アンネが15歳の時につづっていた日記の一部です。

 

1944年7月15日の日付ですから、日記の最終盤です。

 

若者の日記の最高傑作です。

 

アンネじゃなくても、こんなことを書いていた日本の高校生がいました。

 

「学問の道はあんなに広いのに、なぜそこに至るまでの道が狭いのだろうか。学問はすべての人が自由にできるものでなくてはいけないのだ。そのために大学があったのではないか。今の大学へ入るにはテクニックと暗記の勝負とは情けない。仕方ないではすまされぬ。」

 

「僕は教科書を通して先生から学びたい。人生とは何なのか、生きるとは何なのか、青春とは何なのか。僕は先生から学びたい。先生の考えを大いに述べていただきたい。」

 

先の本『高校生の日記』からの抜粋です。

 

なんか、すごくないですか。

 

昔の高校生だからなのかなぁ?

 

イヤイヤ、今の高校生だって、きっと・・・

 

 

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