モヤモヤを抱えて今日も生きる。

とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

なんだかんだ言っても、人は外見!?

社会と自分との接点はカラダなんだ、とつくづく思った。

 

頭で考えて理解しているようだが、もっと身体に注力する必要がありそうだ。

 

他人は自分が思うよりも、外見によってワタシという人間を判断しているのかもしれない。

 

そんなふうに考えたのは、この本を読んだから。

 

ケチる貴方』は、なんともユニークな本だと思います。

 

冷え性」と「脂肪吸引」という設定もユニークだし、

 

著者の表現の仕方がおもしろいのです。

 

心の描写が実にユニークで愉快、引き込まれました。

 

自虐ネタで自己嫌悪のように見えて、しっかり自己肯定かもしれません。

 

以下の引用から、そんなところを感じ取ってもらえるかもです。

 

「私は何かやばい奴という扱いになり、この狭い社会で元気なアメンボの如く浮いた。それからというものいい意味でも悪い意味でも、業務外の雑務とは無縁の人(即ち腫れ物)といったポジションを得た。」(48ページ)

 

「贈呈の段になると、私は贈呈した。(途中略)私はスポーツの大会とかで、メダルの盆を持つ人の気分になった。飾り物が、飾り物を渡すのだ。」(55ページ)

 

ドケチな魂にはドケチな肉体がお似合いなのだ。(58ページ)

 

「ニコニコすれば身体が温かくなるのを知った私がニコニコを止めるのは難しかった。愛嬌を振りまくのは一見簡単そうに見え、そして、時には馬鹿そうにも見えてしまうが、実際は一定以上の度量がないとできない。私も愛想笑いの一つもしなかった頃は、顰蹙を買ってばかりいた。」(63ページ)

 

「脚の問題というのは、即ち人生の問題である。これはこの世に存在する数少ない真実だ。脚が太いと、人生はものすごく難易度が上がる。」(86ページ)

 

「私はこの変化に自尊心というものの持つ力をまざまざと知り、それをつい最近まで自分が持っていなかったことに、愕然とした。それは取り返しのつかない大損失だったのだ。」(112ページ)

 

「私は言葉遣いをいちいち非難したいのではない。そうではなくて、内面が好きだと何のてらいもなく言ってのける、その根性がいけ好かないのだ。」(119ページ)

 

この人の風貌ってどんなだろう?と、著者のことが気になってしまいました。

 

 

 

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