『タラント』という本を読んだんですよね。
ガクチカって言葉が耳に入ってきたのも、この本を読んでいたからかもしれません。
ずっと昔の学生時代に、ワタシもこんなことを考えていたのかもしれない。
だから、登場人物の言葉がグッとリアルに感じられるのです。
「まじめな人が多いよね。まじめっていうのは、なんていうのかな、社会的にまじめなんじゃなくて、ボランティアって偽善なのかとか、自分が何をやりたいのかってことをまじめに考えてる人が多いなって思う」 (市子)
「いいことするって、なんか恥ずかしいから」 (玲)
私は何も知らなすぎる。もっと世界を見て、びっくりして、ちゃんと考えれば、きっと市子や玲のように言いたいことを言えるようになるし、わからないことについてももっときちんと考えることができる。(・・・)みのりはそう思うのだった。 (みのり)
「うん、澤さんに指摘されたみたいに、こういう活動をする人はいい人じゃなきゃいけないって思ってたの。でも私はいい人じゃないから、なんか居心地が悪かった。でもここにきて、私、いいことをしたいんじゃない、知りたいんだって気づいた。」 (玲)
何も知らない人びとのなかに身を置いているのは、みのりにとって、驚くくらい心安らぐことだった。世界には何も起きていないように思えた。いや、何も起きていないもうひとつの世界が、実際に存在していると信じてしまいそうだった。 (みのり)
自分がここにいるのは善意からではないとみのりは知っている。三月の第二土曜日に大学の教室に向かったのは、ゴールデンウィークから被災地に通っているのは、善意だとは思っていなかった。でも、ついさっきの男性の言葉によって、自分がしているのは善いことになってしまった。だれかを助けようとする「側」になってしまった。みのりはそんなふうに感じ、とたんに疲労感を覚える。善いことと思ったとたんに、もうかかわりたくない気持ちになるのはなぜなのだろう。そうじゃないんだと言い訳したくなるのはなぜなんだろう。 (みのり)
400ページ以上ある分厚い本なのに、苦にならずにどんどん読み進めました。
この生きにくさは、この苦しさは、自分のものかもしれない。
ここに自分がいる。
ふと、そんなふうに思うのです。
小説を読む意味はこういうところにもあると思うんです。
こういうことを、若者にも知ってもらいたいなぁ。
余計なお節介だと知りつつですが・・・