601ページ、一気に読み切りました。
小説「黄色い家」です。
この小説を読んで、あれこれ考えちゃいました。
今、自分がこうして生きているのは、自分ががんばったからか?
もしかして、単に運がよかったというだけかもしれない?
金持ちの家に生まれるか貧乏な家に生まれるかでその後の人生は決まってきますよね。
自分より若い人には「そんなことない!がんばればなんとかなる!」
そんなふうに言える自信はないし、それほど能天気でもありません。
「歯車が狂う」と言う表現がありますよね。
自分ではどうしようもなく、落ちていく・・・こんなこともないとは言えないです。
今の社会、生きにくさを感じている人ってたくさんいると思います。
428ページの主人公・花のモノローグは刺さりました。
「みんな、どうやって生きているのだろう。(略)そういう人たちがまともな仕事についてまともな金を稼いでいることは知っている。でもわたしがわからなかったのは、その人たちがいったいどうやって、そのまともな世界でまともに生きていく資格のようなものを手にいれたのかということだった。」
どうしようもなく、落ちていく・・・。そんな人を非難することなんてできない。
スタートから違っているんだよ。そう思う。
「こわくなかった?ねえお母さん、いまどうしてるの、お母さんいままでつらくなかった?こわくなかった?ねえお母さん、生きていくのって難しくない?すごくすごく難しくない?お金稼ぐのって稼ぎつづけないといけないのって、お金がないとご飯も食べられなくて家賃も払えなくて病院も行けなくて水も飲めないのって、すごくすごく難しくない?ねえお母さん、わたしわからないんだよ、どうしていいかわかんないの、いまずごく難しいの、難しいんだよ、どうしていいかわかんないの、ねえお母さん聞こえてる?」
どうすれば、いいのだろう。
ワタシは本を閉じれば、とりあえず仕事があり生活に困らないだけのお金がある。
でも、いつ転落するか、わからない。
自分が転落しなくても、この社会で苦しんでいる人がいることには変わりがない。
自分はただただラッキーなだけだ。
ワタシに何ができるのか?
読む前の自分ではいられなくなった。