『「学校」をつくり直す (河出新書)』に、こんなことが書いてありました。
「学校が、みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で勉強させる場だった。」
だからですね、
「これまで150年もの間、学年学級制が当たり前のものとして続いてきました。」
「同じ年生まれの子どもたちだけからなる集団が作られ、どの学年で何を学ぶかがこまかく決められ、その決められたカリキュラムにしたがって、まるでベルトコンベヤーに乗って運ばれていくように、みんなが一斉に授業を受けていきたのです。」
「同じ年生まれの人たちだけからなるコミュニティ」なんて学校くらいしか思い当たりません。
これじゃ、些細な差も際立って見えるだろうし息が詰まりそう。
そりゃ、排除もいじめも起こりますよね。
子どもや生徒にとってはそこが世界のすべてだから、こりゃ大変だぁ。
学校がシステムとして機能しなくなっているんじゃないか。
学校をつくり直す時期に来ていると思います。
そもそも学校とは何のためにあるのか?
学力を上げることや行儀作法を身につける場だと思っている人は多いかも。
著者の苫野一徳さん曰く、
「教育は、すべての子どもに『自由の相互承認』の感度を育むことを土台に、すべての子どもが『自由』に生きられるための"力"を育むためにあるのです。」
そして、それを実現する場所が学校というわけです。
もうちょっと簡単にいうと、
教育は「すべての子どもが『自由』に、つまり『生きたいように生きられる』ための"力"を育むこと」
でも、他の人も自由に、生きたいように生きようとするだろうからぶつかるわけです。
うまくやっていくためには他者の「自由」を認めて尊重できるようにならなくちゃいけない。
こういう感度と力を子どもたちに持たせるのが教育で、それを実践する場が学校だというわけです。
こういうふうに考えると、今の学校はとてもとても満足するには程遠い。
じゃ、どうすればいいんでしょうかね。
この本にはそのビジョンみたいなものが書かれています。
それが「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」
これを実現するためには、みんなが教育の根本に立ち返って考えないとだめです。
「いい学校に行って、いい大学に入って、いい会社に入れば幸せになれる」
こんな時代は終わったのです。
「自分はどう生きれば幸せなのか、自由になれるのか、そしてそれはどうすれば可能なのかという、自らの人生の問いそれ自体を立て、またその答えを見つけていく力が必要なのです。」
これには「出来合いの答えはありません。むしろわたしたちは、子どもたちがこの問いを自ら問い、自分なりの答えを見出す力をこそ育む必要があるのです。」
そうなったら、先生も親も変わらないわけにはいきませんね。
わたしたち大人こそ、変わる努力が必要です。
そのためには今までの当たり前を考え直さなくてはいけませんね。
「そもそもテストは何のため? 無言清掃は何のため? 運動会は何のため? この校則は何のため? 『起立、礼、着席』は何のため?」
子どもたちだけの問題じゃないんですね。
学校のこと、私たち大人ももう一度じっくり考えてみませんか。