「板書の丸写し 本当に必要なのか」
朝日新聞の投書欄「声」に、こんなタイトルの投稿がありました。
投稿の主は16歳の高校生です。
学校の一部の教科で「ノート提出」なるものがあるそうです。
そして投稿主は、提出したノートの内容の評価点が低いそうです。
理由は「板書をきちんと写してない」から。
「私には生徒の従順さや、言われたことを淡々とこなす能力を評価している気がしてならない」と、投稿主。
この投稿主にワタシも同感です。
ノート提出って、いまだにやってる先生がいるんですね。
しかも、観点が「きちんと写しているかどうか」だなんて。
投稿主のように思ってしまうのも至極自然なこと。
百歩譲って、板書をきちんと書き写すことは悪いことじゃない。
必要なことでもあります。
・・・だとしても、まず大事なことは先生の言ってることを聞くことでしょう。
その理解の補助として板書を書き写して残すことは大事だと思います。
ノート提出まで求められると、その真意が伝わらないこともありますね。
きれいなノートができるだけそれだけで満足しちゃう生徒が結構いるかも。
大事なことが抜けちゃったら残念。
大事なことは、先生の話を聞くこと。
板書はその補助と記憶のために有効だから写すことは大事。
そして、何よりも大事なことは考えること。
このことが学習者に伝わっていないと元も子もない。
「ノートをとる時間よりも、先生の話を集中して聞き、自分で考える時間を大切にしたい。全て写すと、その時間が減ることになる。」
先生、どう答えますか⁈
(参考にした記事はこちら↓)