モヤモヤを抱えて今日も生きる。

とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

すごいお医者さんがいたもんだ

誰の言葉だって、心に刺さってくることがありますが、

 

お医者さんの言葉ってグサッてくるときがありますね。

 

なんでだろう? 心細いシチュエーションで聞くからかなぁ。

 

重い病気がわかった幼い子を持つお母さんが聞いた言葉です。

 

「なんで午前中に連れてこなかったの?」

 

お医者さんの方には傷つけるつもりなんて全然ないのでしょうね。

 

それよりも最善の処置ができなかったのが悔しいから、この言葉になってしまったのかも。

 

午前中なら大きな病院にスムーズにつなげたかもしれないから。

 

一刻も早く最善の医療につなげたいという気持ちからなんでしょう、きっと。

 

でも、これがお母さんの心にずっと突き刺さったままになることもあるんですね。

 

また、別のケースで、重い病気がわかった子どものお父さんが、

 

「何か原因があるのでしょうか?」と尋ねると、

 

先生は「いえ、ただアンラッキーだったということです」と。

 

これだって、原因は特定できない旨を表す表現だったのでしょう。

 

しかし、アンラッキーとは・・・です。

 

子どもの命が危ぶまれる病気がわかった時に、こういう言葉が家族にどう響くか。

 

子どもにもしものことがあったときは、親の胸にずっと刺さったままになることも。

 

これは最近読んだ本『こどもホスピス―限りある小さな命が輝く場所』にあったエピソードです。

 

こんな言葉が耳に残っていたからでしょうか、

 

朝日新聞の"フロントランナー"で見かけたお医者さんの言葉にビックリしました。

 

そのお医者さんとは、訪問診療医の田代和馬さんです。

 

初めての患者と方針を話し合うインフォームドコンセントでこんなふうに言い放つのです。

 

「『末期』と言うけどね、『まだまだ元気』の略なんです」

 

「この先どうしていきたいか、一緒に考えていきましょう」。

 

なんて、やさしい言葉なんだろうって思いました。

 

言葉だけじゃないんですよ、この先生はインフォームドコンセントのなかで

 

一枚の真っ白な紙に末期、死戦期、最期までの変遷を図付きで描きながら説明していく。

 

「あの紙一枚貼っておけば、何度も見返せる」とも。

 

なんともやさしい。

 

でも、これって簡単なことじゃないと思ったのです。

 

すごいお医者さんがいたもんだ!

 

www.asahi.com

 

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みんな大人になる-僕の場合③

友だちの家に上がり込むことが別世界との遭遇だったが、

 

それよりも小さい頃の別世界を覗き見る体験は親戚の家だった。

 

パパがよく親戚の家に連れて行ってくれたものだった。

 

パパの兄弟が近くに住んでいたということもあるのだろう、

 

休日の娯楽といえば、親戚の家に行くことだったのかもしれない。

 

そこではオジサンやオバサンの他にいとこにも会うことができた。

 

それぞれの家が違った雰囲気を醸し出していて魅力的だった。

 

僕たちはそれぞれの家をその土地の地名で読んでいた。

 

その地名は、僕にとって単なる地名を超えた特別な響きをもっている。

 

お店を構えている家もあれば、卸の商売をしている家も、

 

普通のサラリーマンの家も…というぐあいにいろいろだった。

 

オジサンとオバサンがいたのだが、自分とどんな関係なのかは知らなかった、たぶん。

 

いとこもいたが、ただ単に「シンセキ」の人だと思っていただけ。

 

当時の僕は「シンセキ」が親戚だってことだって知らなかったと思う。

 

ましてや、それぞれの関係性なんて意識していなかったんじゃないか。

 

でも、子ども心に「この家は居心地がいい」とか「ココはなんかぃやな感じ」なんて、

 

雰囲気はちゃんと受け止めていたように思う。

(つづく)

 

moyamoyaikiru.hatenablog.com

 

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この本、サザンの曲を何倍も楽しませてくれまっせ

サザンオールスターズザ・ベストテンで見て以来、

 

ずっと、魅せられっぱなしです。

 

いまだにドライブには欠かせないサウンドです。

 

聞くほどにやられっぱなしで、決して懐メロにならない。

 

聞くたびにその時の気分とマッチして更新されます。

 

こんな曲の数々を持つお方は他にはおりません。

 

そのたんびに、「桑田、さいこ~」と感嘆のため息が…

 

こんな語彙の乏しいワタシに言葉を与えてくれたのがこの本です。

 

桑田佳祐論(新潮新書)』を読んでおります。

 

おもしろくってしょうがないです。

 

知識とセンスがある人に解説してもらうと、その良さがハッキリわかって楽しい。

 

サウンドに合わせた言葉の響きを優先する・・・さらには響き優先のために、歌詞を意味から解放させるというもの」

 

これが、著者・スージー鈴木さんがおっしゃる桑田の新しい方法論。

 

「単に手を抜いたり、単にありふれた言葉で取り繕うのではなく、サウンド志向と両立する新しい方法論」なのだ。

 

う~ん、だから魅せられちゃうんだね。

 

とくに、歌詞の解説が深くて、新しい発見がたくさんあります。

 

こんな音楽の授業があったらおもしろかっただろうにって思います。

 

こんな国語の授業だったら、のめり込んでしまいそうです。

 

やっぱり、くわたさいこ~

 

んっ? 桑田彩子ってだれ?

 

 

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荻上チキさんとヨシタケシンスケさんのコラボが最高です

みらいめがね2 苦手科目は「人生」です』というエッセイ本を読みました。

 

暮らしの手帖の連載をまとめた第2弾です。

 

荻上チキさんがエッセイを書いて、ヨシタケシンスケさんがイラストを描いたもの。

 

エッセイ本でこれほどインパクトがあるものは、そうあるものではないと思います。

 

荻上チキさんはラジオでお話ししているのをよく聞きます。

 

理知的で落ち着いた人だなぁという印象を持っていましたが、

 

エッセイを読んで、より親近感を抱きました。

 

繊細さが半端ないって感じで、これじゃ生きにくさも相当なものでしょう。

 

ご自身の病気のことなど、かなり繊細なプライベートなことも、

 

社会の見方・感じ方なども鋭く語ってくれて、気づきをたくさんもらえました。

 

「長い時間をかけて身につけてきた、「感情を見せたら負け」という自己規制は、自分の感情表現そのものを静かに凍結させてきた。ただ表に出さないだけでなく、感覚を受容する作業をも阻んでいたのである。」

 

このあたり、鋭い! 心理の専門家の話を聞いているようです。

 

「チキさん、大変なところを歩いてきたんですね」って思わず声が出ちゃいそうです。

 

苦手科目は「人生」です-というサブタイトルにも頷けます。

 

「会話の作法」なんかもとても印象的で、

 

チキさんの「話さなくなったテーマ」「聞かなくなったテーマ」に、共感100%です。

 

「初体験はいつ?」「経験人数は?」から「親は何をしている人?」「一番のトラウマって何?」など、

 

こういう話題は、たとえ盛り上がるとわかっていても、人に聞かないですよねぇ。

 

他にも、言葉に対する感覚も共感しきりです。

 

一部の人からは、「面倒くさい人」みたいに見られるのでしょうね。お察しします。

 

チキさんのエッセイだけでは、ときどきしんどくなる場面がありますが、

 

もれなくヨシタケシンスケさんのイラストがついているのが救いです。

 

このマッチングは最高にして最強で、相乗効果バツグンです。

 

お二人に「ありがとう」って大きな声で言いたいです!

 

 

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「心配事を吸わせる紙」なんて思いつきます?

心配事を吸わせる紙

 

ヨシタケシンスケさんの本『思わず考えちゃう』に出てきました。

 

あぶらとり紙みたいに、

 

「おでこにピトッとすると、心配事を吸い取ってくれる」という代物です。

 

お風呂に入るとスッキリするのと同じ。

 

心配事や不安なんかは、身体の外側に付きやすいって発想です。

 

お風呂に入るとスッキリするのは肉体的な汚れだけじゃなくて、

 

こういう落ち込む気持なんかも洗い流してくれるからじゃないかって。

 

小学校のときの同級生に同じ発想で作文を書いて全国表彰されたヤツがいました。

 

心配事を吸わせる紙じゃないですよ。

 

お風呂に入るとスッキリするってことを、素敵な作文に仕上げたんです。

 

心配事も石鹸の泡といっしょに流れていくっていう感じです。

 

「やられたぁ~」って思いました。

 

ボーっと生きてた平凡な自分には思いもつかない文章でした。

 

生まれて初めて感動というのを覚えたのはこれだったんじゃないかと思うくらいです。

 

自分と同じ小学生が、「こんなことを考えていたのか!」って。

 

あの時の印象は強烈に覚えていますよ。

 

その友達がすごくでっかく思えて、自分のちっぽけさに愕然としました。

 

いま、ヨシタケシンスケさんの本を読んでいて、

 

彼の発想にほっこりさせられています。

 

 

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若者も大人も悩みは同じってことですか

表紙の雰囲気といい、『自分を育てる方法』というタイトルからして、

 

高校生向けに書かれた本かなって思って手にとりました。

 

よく見たら、”大人の成長期”なる言葉が帯に書いてありました。

 

一言で言うなれば、迷えるビジネスマン向けのコーチング本ということですね。

 

実際に表紙裏にはこんな文言が書いてあります。

 

こんな人にオススメです。

✔自分の強みがわからない

✔将来のキャリアが描けない

✔周りと自分を比べて落ち込むことが多い

✔ついがんばりすぎてしまう

✔リーダーや管理職になる自信がない

 

ビジネスマンも高校生も同じようなことで悩んでいるってことですね。

 

著者は企業のリーダー育成トレーニングを行う会社の代表取締役・中竹竜二氏です。

 

日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクターも務めた人なんですね。

 

本の内容はコーチングのテキストという感じで、至ってシンプルです。

 

「自分を育てるワーク」シートがついていて、理論より実践っていう感じです。

 

たとえば、外的自己認識という項目では、

 

他者から見られる自分について知るステップということで、

 

実際に5人に聞いてみるという課題がついています。

 

「この手の本は初めて」という方には良いかもしれません。

 

表紙にイラスト付きでこんなことが描いてあります。

 

脱・期待される自分

脱・世間一般の幸せ

脱・いい人

 

みんな、縛られてるものは同じなんですね。

 

私たちが暮らしてるニッポンって国はけっこう窮屈なところなんだなぁ・・・

 

と、改めて感じた次第です。

 

 

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『タラント』という本を読んでいたから

タラント』という本を読んだんですよね。

 

ガクチカって言葉が耳に入ってきたのも、この本を読んでいたからかもしれません。

 

ずっと昔の学生時代に、ワタシもこんなことを考えていたのかもしれない。

 

だから、登場人物の言葉がグッとリアルに感じられるのです。

 

「まじめな人が多いよね。まじめっていうのは、なんていうのかな、社会的にまじめなんじゃなくて、ボランティアって偽善なのかとか、自分が何をやりたいのかってことをまじめに考えてる人が多いなって思う」  (市子)

 

「いいことするって、なんか恥ずかしいから」  (玲)

 

私は何も知らなすぎる。もっと世界を見て、びっくりして、ちゃんと考えれば、きっと市子や玲のように言いたいことを言えるようになるし、わからないことについてももっときちんと考えることができる。(・・・)みのりはそう思うのだった。  (みのり)

 

「うん、澤さんに指摘されたみたいに、こういう活動をする人はいい人じゃなきゃいけないって思ってたの。でも私はいい人じゃないから、なんか居心地が悪かった。でもここにきて、私、いいことをしたいんじゃない、知りたいんだって気づいた。」  (玲)

 

何も知らない人びとのなかに身を置いているのは、みのりにとって、驚くくらい心安らぐことだった。世界には何も起きていないように思えた。いや、何も起きていないもうひとつの世界が、実際に存在していると信じてしまいそうだった。 (みのり)

 

自分がここにいるのは善意からではないとみのりは知っている。三月の第二土曜日に大学の教室に向かったのは、ゴールデンウィークから被災地に通っているのは、善意だとは思っていなかった。でも、ついさっきの男性の言葉によって、自分がしているのは善いことになってしまった。だれかを助けようとする「側」になってしまった。みのりはそんなふうに感じ、とたんに疲労感を覚える。善いことと思ったとたんに、もうかかわりたくない気持ちになるのはなぜなのだろう。そうじゃないんだと言い訳したくなるのはなぜなんだろう。  (みのり)

 

400ページ以上ある分厚い本なのに、苦にならずにどんどん読み進めました。

 

この生きにくさは、この苦しさは、自分のものかもしれない。

 

ここに自分がいる。

 

ふと、そんなふうに思うのです。

 

小説を読む意味はこういうところにもあると思うんです。

 

こういうことを、若者にも知ってもらいたいなぁ。

 

余計なお節介だと知りつつですが・・・

 

 

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