モヤモヤを抱えて今日も生きる。

とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

ガクチカと聞いてはぁ〜?意味を知ってえ〜っ!

ガクチカってご存知でしたか? 

 

ガクチカですよ、何のことだと思いますか?

 

デパチカとは関係ありません。

 

ガクチカとは就活用語で「学生時代に力を入れたこと」の略だそうです。

 

就職活動の際の採用面接で必ず聞かれることのようです。

 

就職活動をサポートするナビサイトなどでは、

 

ガクチカの書き方を懇切丁寧に教えてくれるところがあります。

 

ガクチカという言いかたがあるってことに驚きですが、

 

就職試験で「学生時代に力を入れたこと」を聞かれるのは、

 

今に始まったことではないですよね。

 

ずっと前から、この類のことは聞かれていたと思います。

 

ただ、ガクチカなる言葉が定着してしまうくらい意識されてるってこと。

 

そうなると、就職活動の際に必要になるから

 

学生時代に力を入れることを何か探さなくちゃ!

 

という本末転倒なことが起こるわけです。

 

これって、順番が逆ですよね。

 

大学に入ったら何かやってみたいと希望に燃えてほしいものです。

 

高校までの縛られた勉強だけじゃなくて、

 

学ぶものも自分の学びたいものを学び、

 

それでは飽き足らず、何かやってみたいという衝動に搔き立てられて動きだす。

 

こんな学生生活を経験して、その先にあるのが就職試験であってほしい。

 

就職がゴールの学生生活では、あまりにも悲しすぎます。

 

こんな社会では、社会自体がどんどん細ってしまうような気がします。

 

こんな様では活力ある社会は生まれません。

 

ニッポン、だいじょうぶかぁ?

 

ワタシが心配したところで、どうにもなるものではありませんが・・・(´;ω;`)

 

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若いってすばらしいってバラ色みたいに言われるけれど・・・

「みんな大人になる-僕の場合」を書いてみようと思ったのは、

 

苦しんでいる中学生・高校生くらいの若者を見たからです。

 

毒親、虐待、自傷、ヤングケアラー、不登校などなど、若者の受難を物語る言葉が取り上げられるようになりました。

 

子どもが大人になって行くってことは、簡単なことではないと思います。

 

みんな大人になるのだから、そんなの普通のこと、と多くの人が思っています。

 

でも、本当にそうなのでしょうか。

 

みんな、大人になるために相当な傷を負っているのではないですか。

 

なかには、そのために大人になりきれていない大人もいるんじゃないですか。

 

そう言えば、アダルトチルドレンなどという言葉も生まれましたね。

 

みんな、スレスレのところでつぶれずに大人になったのだろうなぁと感じています。

 

しかも、状況は年を追って悪くなっているように感じます。

 

昔よりも今の方が確実に、若者が大人になるのに苦労するってことです。

 

社会学的に考えれば、いろいろなことがあるのでしょうね。

 

親の支配が強くて、しかもそれが巧妙なやり方だったりするのかも。

 

それもいろいろなもののうちの一つだと思います。

 

だから、そんな若者に手を差し伸べたいのです。

 

ひとり悩んで苦しんでいる若者に、

 

今の苦しみはどこから来るのか、

 

そして、どうすればいいのか、

 

そのヒントにでもなるものを提供したいと思うのです。

 

なかなかうまく行きませんが、模索はまだまだ続きます。

 

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みんな大人になる-僕の場合②

小学生の頃、街からずっと離れた森にクワガタを取りに行くのは

 

僕らにとっては、ちょっとした冒険だった。

 

でも、僕にとってもっとワクワクすることは友達の家に上がることだった。

 

家というものは外から見てるだけではわからないが、

 

中に入ってみると全然違う世界が広がっている。

 

家の中のつくりは自分の家とは違うんだってことが僕にとっては驚きだった。

 

他人の家に入っていくことは、ちょっとした未知との遭遇でワクワクだった。

 

近所の友達には美容院や小さな旅館を営んでいる家の子どもがいた。

 

電化製品を置いているちょっと大きなお店を経営している家の子どももいた。

 

その子の家に遊びに行ったとき、こたつの上に無造作に置かれたお札の束にビックリした。

 

応接間というソファーとテーブルの部屋も友達の家で初めて実際に目にした。

 

紅茶を初めて口にしたのも友達の家だった。

 

レモンティーを飲まされた時の驚きは忘れられない。

 

いろんな世界があるんだなぁと、そのとき子ども心に思った。

 

(つづく)

 

moyamoyaikiru.hatenablog.com

 

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そう言えば、勉強の仕方ってちゃんと教えてもらってないぞ

そう言えば、勉強の仕方って学校でちゃんと教えてもらっていません。    

 

特に英語のことを考えると、今さらながら文句も言いたい。    

 

河合塾講師の宮下卓也さんのこの記事を読んで触発されました。    

 

今、一生懸命英語を勉強している中高生はもちろんですが、    

 

その年頃の子どもを持つ親御さんにも知っておいてもらいたいですね。    

 

教育界では10年に一度の頻度で学習指導要領というものが改訂されます。    

 

それに合わせて学校で教える科目も変わります。    

 

昔は英語と言えば科目名は「英語」とシンプルでした。    

 

高校の英語で言えば、他には「英文法」とか「英作文」という程度でしたよね。    

 

それが昨今は「英語コミュニケーション」だとか「コミュニケーション英語」だとか。  

 

どっちだって良さそうなのですが、こだわっている人も行政の一部にいるのでしょうね。    

 

呼び方だけではなくて、内容もその都度コロコロ変わってきた印象です。    

 

コミュニケーションが盛んに言われるようになってからは    

 

「とにかく喋れればいい」とばかりに英文法軽視が進んだように思います。    

 

その結果どうなったか?    

 

その検証はちゃんとされているのでしょうか?    

 

ワタシの印象では「何となく通じればいい」と考えている人が増えたような気がします。    

 

中学生、高校生のあなたはちゃんと英語の力が身についていますか。    

 

親御さんは、お子さんに英語力が身についていると思いますか。    

 

なんとなくわかったような気になっていませんか。

 

でもね、この記事にあるように、「海外のニュースサイト記事を正確に読み取るには、高校レベルの英文法が必要」なのです。    

 

リスニングにだって、ライティングにも、もちろんスピーキングにも、    

 

英文法の知識は絶対に必要です。    

 

それなのに、学校ではコミュニケーション練習に時間がとられ、文法をしっかり学習する時間が少なくなっています。    

 

これでは、簡単な日常会話はできても、それ以上は無理です。    

 

そもそも、コミュニケーションの練習を担う教科が、どうして英語なのでしょうか?    

 

母国語である日本語でコミュニケーション練習をやるのが一番のはずです。    

 

それを英語に担わせるって、どういうわけがあるのでしょうか。    

 

日本語でコミュニケーションスキルを磨けば、    

 

英語でコミュニケーションをするのは簡単です。    

 

英語の文法をしっかり習得して、聞き取る力と発音の勉強をすれば・・・です。    

 

そうなんですよね、英語の時間にすることは、英文法と聞き取る力と発音の仕方の3つです。    

 

これを徹底すれば、日本人だって世界で渡り合っていけると思うのです。    

 

いかがでしょうか。    

 

参考にさせてもらった記事↓

toyokeizai.net

 

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みんな大人になる-僕の場合①

僕はパパとママのところに生まれた。

 

パパとママが作った世界が僕のすべてだった。

 

僕はその中で成長し大きくなった。

 

小学校に行くようになると、パパがいない友達がいることを知った。

 

僕の家にはおばあちゃんがいたが、

 

友達の家にはおばあちゃんはいない。

 

その代わりにおじいちゃんがいる。

 

僕には弟しかいないが、

 

お姉ちゃんがいる友達やお兄ちゃんがいる友達もいる。

 

僕はどんどん大きくなった。

 

なんだかお家が居心地悪いなぁって思うことがときどきあった。

 

ママに叱られたときだ。

 

僕は悪いとは思っていないことなのに

 

ママは気に入らなかったみたいだった。

 

僕はすごく嫌な気持ちのままだった。

 

僕はどんどん成長し、中学生になった。

 

だんだん、ママの言うことが気に障るようになった。

 

パパはなんにも言わない。

 

言わないから、余計に腹が立つ。

 

(つづく・・・かも?)

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

子どもが育つって、どういうことなのだろうか?

 

シンプルに考えてみようと思ったら、こんな書き出しになってしまいました。

 

未確定ですが、ちょっと続けてみようかなと思っています。 

 

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これ何に見える?という心理テストにモヤモヤ

これ、何に見える?

 

こういう心理テストありますよね。

 

なんだか、不思議な絵を見せられて、

 

何に見えるか?と問われるものです。

 

何に見えたかで、性格判断をしたり向いている職業を教えてくれたりするもの。

 

でも、これにはちょっと不満なんです。

 

だいたい、何に見える?とか聞いてるくせに、

 

選択肢の中にワタシが思ったものがないんです。

 

はじめっから、この中から選んでくださいってのが、一つ目の不満です。

 

そして、選択肢から選べば、

 

「あなたは、活発なのでじっとしていることが苦手です。だから・・・」 と、続くわけです。

 

この選択肢を選ぶと、どうしてそういう結論になるのか、その説明がないのです。

 

本当に知りたいところはそこなんですけど!

 

別に、ワタシに向いてる職業を教えてもらいたいわけじゃないんですよ。

 

これって、血液型性格診断に似ています。

 

多分、血液型診断は統計学的にそういうことが言えるってことだと思うんです。

 

じゃ、この図形診断はどうなってるんでしょうか、ね。

 

こんなところが気になってしまうワタシは、どんな性格といえるのでしょうか?

 

きっと、「めんどくさい性格」とか言われるんでしょうね。

 

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大人になるとなんでドキドキしなくなっちゃうんだろう?

ラジオを聞いていたら、流れてきた問いです?

 

これを言っていたのは、哲学研究者と紹介されていた永井玲衣さんです。

 

大人になるとドキドキしなくなっちゃうのは、

 

生きてきた年月が長いので、だいたいのことは予想がついちゃうからかなぁ。

 

ワタシも「胸が高鳴る」なんていう感覚を忘れつつあると悲しく思ったりします。

 

オノ・ヨーコさんが以前「わくわくする」って言葉を使っていたのがすごく印象に残っています。

 

あの年齢で、「わくわくする」って言葉を使える彼女に強烈に惹かれたのを覚えています。

 

それくらい、人は年齢を重ねると「わくわく・ドキドキ」しなくなる。

 

なんでだろう?

 

こういうのをみんなで語るのが、永井さんが実践している哲学対話だそうです。

 

小学校をはじめいろんなところで実践しているみたいです。

 

普段の会話ってけっこう窮屈で、

 

何か気の利いたことや正解を言わなきゃいけないプレッシャーがあったり、

 

意見を変えちゃいけないとか、わかんないとは言えないとか、けっこう窮屈?

 

それとは違う場が哲学対話の場なのだそうです。

 

ルールは・・・よく聞くこと・偉い人の言葉は使わない・人それぞれにしない!

 

なるほどなるほど、こういう語りの場は意外と少ないのかもしれないですね。

 

永井さんによると、哲学とはモヤモヤすることを立ち止まって考えること。

 

そして、それをみんなでやるのが哲学対話なのだそうです。

 

「問い」の前では誰もが平等なんですって。

 

誰も正解を持っていないからこそ、好き勝手にいろんなことが言えるんですね。

 

こういう語りの場に身を置いたら幸せなのかも。

 

そして、ドキドキワクワクを感じられるかもしれないな、とちょっとだけ思えてきました。

 

とりあえずブックリストに入れました↓

 

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