「生きていることが苦しいか?この世を憎んでいるか?この世の変化を望みながら、その兆しすら見えない現状に失望しているか?布団の上で動けないまま、特に見たくもないSNSだの天井だの毛布の裏側だのをえんえんと眺め、自分でも正体のわからない不安をやり過ごしているか?」
『布団の中から蜂起せよ』の冒頭です。
「あなたにもしそのような経験があるなら、この本はあなたのためにある」と、著者が語りかけます。
さらに、「あなたがこの本を必要としていなかったとしても、この本はあなたのためにできている。」
著者からの一方的な「あなたへの祈り」です。
だから、ワタシへの祈りであると受けとめました。
「私はこの世を、少しでもマシな方向に動かしたい。」
ワタシは著者のこの考えに賛同します。
「何者にも、どのような大きな力にも脅かされることなく存在できる世の中を作り出したい。」
目指す世の中はどんな形をしているのか、それがこの本に書いてあります。
その形はまだ曖昧ですが、やり方なり方向性なりを見せてくれます。
それはそれは、ストレートで過激です。
びっくりですが、希望ももらえます。
ワタシなんぞ、諦めかけていました。
「こんな世の中に誰がした!」という思いを強く持ちながら、この怒りを誰に向けたらいいのかわからずに。
この本に書いてあることは、過激なのに基本、やさしい。
それは、弱い立場の人を見捨てないという立ち位置がはっきりしているから。
強いものが支配し、弱い者が泣きを見る、そんな社会は間違っている。
「弱い個人を追い詰める現状」を「批判、破壊、拒絶」する働きかけをしなくては。
これが、「『この世をマシな方向に動かす』ための働きかけ」だ。
そのために、「私は書かなくてはならない」と、書くことの重要性を著者は訴える。
「書かねばならず、書かねば遺らないからだ」と。
さらに、「あなたも叙述するべきである」と。
「これを目にした誰かもまた、自ら筆を執ってどこかに自分の葛藤を曝け出すかもしれない。そこに曝け出された何かが、また別の誰かに寂しい夜を超えさせるかもしれない。そうして生き延ばした人たちが、いずれ集まって世界を変える可能性がある。そのような連鎖に、何よりも期待したい。」
ワタシも、この連鎖につながりたいです。
この世を少しでもマシな方向に動かすために。