「手本にはならないけど、見本にはなるかもしれない」
ある集まりで、こんなことを口走ったのです。
そうしたら後になって、それを聞いていた身近な人から「わかりにくい」と言われました。
そうなの?
手本は、見て習うもので模範にするようなものと考えておりました。
それに対して、見本は単なるサンプルです。良いも悪いもない。
こういう認識でいたのですが、違いましたか?
子どもの前だと、おとなってお手本になろうと思ってはりきってしまいます。
だから、こどもにはちょっと嫌な感じに映ったりします。
なんかお高く留まっている感じだし、威圧的だったりします。
親や学校の先生は、もっと素の自分をさらけ出してもいいんじゃないかと思うのです。
そういう大人の方がこどもから信用されるように思うのですが、どうでしょう。
大人だって自信のない時もあるし、必死なんだというのを、
子どもにどんどん見せた方が、こどもにとってはありがたいものです。
こどもは、そんな大人を見て「あの人のようになりたいっ!」と思ったり、
「あんな大人にはなりたくないよな」と思ったり。
価値をつけるのは子ども側です。
だから、見本はたくさんあった方がいいんです。
大人たちよ、カッコつけてないで素の自分を子どもに見せましょう。
こどもたちよ!大人をどんどん揺さぶって素をさらけ出させよう。
こどもにとって、見本はたくさんあった方がよいのだから。