いつもはダメダメなのに、ここ一番!という時に頑張れることってありますよね。
こういうときって、大概、自分のためじゃなくて誰かのためだったりします。
そんな時には、「モチモチの木 だね!」ってワタシは言うんです。
これだけで、何を言っているのか通じちゃう仲だったらどんなにいいか。
落合陽一さんの『忘れる読書 』を読んでいたら、こんなことが書いてありました。
ある本を引き合いに出して、「これは・・・的な話ですよね」と言った時に、
聴衆から何かしらの反応が返ってくると、本質的なところで話が進めやすい、と。
逆に反応が薄いと、ベタな説明をしなくちゃならなくて話のスピード感が削がれてしまう。
これだと、濃厚な中身は伝わらないし、話が一向に深まらないそうです。
本のスゴイところは圧縮感、本は「作者が伝えたいことが凝集されている『言語の器』」。
だから、「日常会話の中でも、書かれた本の中身を共有しているかいないかでは、話のスピードと深度が全く違ってきてしまいます」と。
こんな感じで、この本には落合さんの読書観みたいなものが書かれていてグングン引き込まれました。
落合さんは中学生の頃に、「ニーチェを読んでいない奴とはしゃべれない」と父親に言われたそうです。
だから、本を読むことは落合さんにとっては「もうほとんど必然という感じ」だったようです。
また、大学一年生の時には、生物の教授から「岩波文庫を100冊読みなさい」といわれたそうで、それを実践したとか。
多読の効用は「他の本を読むときの理解度が格段に上がる」ということだと言います。
あの、天才・落合さんはこうやってできてきたんだなと感じました。
かなり刺激的で、第3章までワクワクしながら読みました。