文春オンラインに気になる記事がありました。
その中の一部を引用します。
日本の文部科学行政の本当の病というのは、学校現場に死ぬほど厳しい職場環境を押し付けて、単に子どもの教育を行うだけでなく、部活の面倒をみて、地域の風紀・安全も担い、さらには本来は家庭でなすべき躾まで教師にやらせることで、子どもに関する社会の接点はすべて家庭と学校とサードプレイスに集約させる社会構造となったからです。
何でもかんでも学校に賄わせてきたってことです。
しかも安月給で。
記事ではさらに「日本の教師は世界標準の2倍働いています」と続きます。
さらには、昨今では子どもの放課後において学童保育まで公教育の責任の一部となり、登下校から子どもが自宅に帰る18時すぎまで学校施設で子どもの面倒をみるのだとなりつつある
労働時間で見ても、品質で見ても、そのぐらいの責務を負わされ、子どもの面倒をみるだけでなく、訳の分からない地域の仕事やクレームを入れる保護者への対応まで全部やっています。部活も学童も見て、わずかな時間外報酬しかもらわず林間学校まで同行する教師が、たいした尊敬も地域で受けることなく薄給で働いてるわけです。
ちょっと過激に聞こえるかもしれませんが、確かにこれは事実です。
最近はモンスターペアレントだとかクレーマーだとか言われますが、元来、親が学校に文句を言うのは悪いことじゃないと思います。
学校はみんなのものです。
ましてや子どもを通わせる親にとっては最大の関心事です。
そこで行われることに口出しするのは当然の権利なのです。
ただ、教師がそれだけの報酬をもらっていることが前提です。
今のような薄給でこれだけのことをやる余裕はありません。
そればかりか、薄給の割に仕事がキツイと優秀な人材が教職を敬遠するようになりました。
結果、教師を目指すのは他で通用しないような人材に成り下がってしまった。
優秀な人材が教員をやっていれば、どんなクレームや言いがかりをつけられようが、
それを好機に、クレーマーまで教育してしまうでしょう。
本来、教師とはそういう存在なのです。
一時期、不適格教員をつるし上げて教師批判が盛んに行われました。
それで得をしたのは誰だったのでしょう。
その結果、教師の給料は低く抑え込まれ、優秀な人材は教師を敬遠し、教育全体の力が低下しました。
ダメな教師がいるのは事実です。
だけど、それをつくり出した構造をしっかり見なければ対応を誤ります。
教師批判ばかりしていて、教育が良くなるはずありません。
教育は、子を持つ親はもちろん、国民すべてが自分事として考える問題だというのはこういう理由からです。
参考にした記事はこちら↓