不登校? ひきこもり?
自分には関係ないと言えるでしょうか?
たとえ自分がひきこもりではなくても、自分の子どもが不登校でなくても、関係ないと言い切れる人はいないと思います。
「「不登校」「ひきこもり」の子どもが一歩を踏みだすとき (おそい・はやい・ひくい・たかい No.109)」を読んで思いました。
「80万~100万人いるといわれるひきこもる人々」がいて、「平成の30年間をとっても延べ300万人以上の不登校経験をした子どもを輩出した国」に私たちは住んでいるのですから。
不登校は個人の問題と考えられがちです。何らかの不適応があるのではないかと。
しかし、これだけの数の不登校経験者を見ると個人の問題で済まされない。
「すべての子どもが学校で同じ内容の教育を受け、一斉テストを受けて学力を判定されるというシステム」に目を向ける必要があるのではないかと感じました。
この本は心理カウンセラーの内田良子さんへのインタビューと講演記録などをまとめたものです。
内田さんは徹底して、不登校の子ども本人に寄り添います。
だからなのでしょう、鋭い批判の刃は学校や教育行政に向かいます。
はじめは不登校の子どものために自発的に組織された「親の会」が、行政の指導で「学校にもどす親の会」に仕向けられていること、
学校の保健室が「心の居場所」でなくなってしまったことや、
スクールカウンセラーなどの「専門家は権力に奉仕する」など、
鋭い指摘だなぁと感じますが、そう言われれば納得です。
巻末の岡崎勝さんによる解説にこんな言葉がありました――
「これは、子どもにかかわるすべての人に考えてほしいことです。親の『わが子のために』、教員の『クラスのみんなのために』、文科省や教育委員会のいう『日本の子どものために』という疑うこともない素朴な思いや言葉にこそ、子どもをないがしろにしてしまうあやうさがあるのです。」
その思い、本当に子どものためになっているのか、と常に自分に厳しく問わねばならないのですね。
内田さんは言います――「子どもは答えは自分で出します。ですから、親に『この道を行った方がいいよ』という助け舟を求めているわけではない。私がいま悩んでいる、傷ついている、混乱している状態であることを知っておいて、理解して黙って見守ってね、ということを求めている。」
さらに、こうとも言っています――「理解するとは、そういうことです。しっかり理解してくれているその人が、子どもにとってはある意味存在の保証人になるわけです。親がわかってくれている、存在を保証してくれているとわかると、時間さえ急がなければ、子どもは自分の問題を自分で解決します。」
子どもの味方になるとはどういうことか、改めて覚悟が必要だと感じました。
関係ある人も、関係ないと思われる人にも読んでほしい本だと思いました。