学校は誰のものか?って考えたときに、ワタシは子どものためにあると思いたい。
現状はどうかというと、学校は子どものために存在しているとは言い切れない。
じゃ、取り戻すためにはどうしたらよいか?と考えたときに算数セットだったのです。
算数セットじゃなくてもなんでもいいんですよ。
どこから取りかかってもいいので、そのひとつに算数セットがあるなって思ったのです。
こんな記事を読んだのがきっかけです。
日本の小学校の「算数セット」の細かい記名はアメリカ人には狂気 ラクにならないのはなぜ?(1/2)〈AERA〉 | AERA dot. (アエラドット)
算数セットに細かい名前シールを貼っていた、あのときの感覚が蘇ってきました。
記事の中では、算数セットのような細かいものに一つずつ記名することにも、
保護者の間でも賛否両論あって妥協策として生き残っているとありました。
ワタシはこれには同感しません。
廃止して!という保護者や児童の意見が先生方を動かすほど大きなうねりになっていないからです。
先生からしてみれば、無視できるほどの苦情しかないってことだと思います。
名前シール貼りは、一時的なものですし、
子どもの小学校入学の記念行事みたいなところもありますからね。
面倒くさいけど耐えられないほどの苦行ではない、というのが親の本音でしょう。
先生にしたって、疑問に感じている人もいるでしょうが、
自分が言い出しっぺになって廃止にするほどのモチベーションはないでしょう。
こんなことで、自分の立場を危険にさらしたくないでしょうから。
でも、もっと大きな視点からものを考えると、問題アリアリだと思います。
地球環境のことを考えても、一時期しか使わないプラスチック製の算数セットです。
これが毎年、全国で大量に消費されているわけです。
家庭では、ほぼ新品のような算数セットをゴミとして処分しています。
子どもが複数いたら、その人数分です。
地球環境のことを考えたらNGでしょう。
本当に喜んでいるのは業者です。商売ですから絶対になくなってほしくない習慣?です。
こうやってGDPも押し上げられているわけですね。(余談ですが)
大局に立って眺めたら、算数セットを個々に買わせるのはナシでしょう。
保護者が声を上げてこの習慣を変えるしかないです。
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