子どもを授かったら、多くの人が思うことでしょう。
子どもにとっての最良の親になりたいと。
いえいえ、最良じゃなくてごく普通の親でいいですよ、と思う人もいるかもです。
でも、最良の親になりたくない、とは思わないでしょう。
なれるのだったら、誰だって最良の親になりたいと思うはずです。
ただ、大変そうだから、そこまでは求めません、ということだと思うのです。
では、最良の親になりたいとして、最良の親とはどういう親なのでしょうか。
ここからして、厄介です。
いろいろあるでしょうが、ワタシは「子どもの幸せを願い努力する親」だと思うのです。
そうすると、子どもの幸せって何? ということになるのです。
子どもが良い学校に行って、良い職に就いて、そこそこの豊かな生活が送れるようになること。
じゃあ、良い学校ってどんなとこ? 良い職ってなに? 豊かな生活ってどんなの?
こうなると、ほとんど禅問答です。
そもそも、人の幸せって、条件で決まるわけじゃないですよね。
そうなると、こうなったら幸せ、なんていう方程式はないわけです。
じゃあ、子どもが幸せになるって、子ども本人に聞かなければわからないです。
でも、幼い子どもに「あなたにとって幸せってどんなの?」と聞いたところで答えられっこないです。
では、親はどうすればいいのか?
子どもをじっと見ることだと思います。
じっと見て、「この子の幸せとは?」と考え続けることだと。
ずっとずっと自分が死ぬまで、そう考え続けて努力するのが最良の親と言えるのかも。
でも、コントロールしたり支配することになっては真逆ですから。
「これがあなたの幸せよ!」なんて、勝手に押し付けたりしたら最悪です。
こんなふうに考えてると、子どもにとっての良い親になるのは不可能?
そう思えても、あきらめないで努力し続けるのが本物の良い親なのだと思う。
だから、親業は修行だとつくづく思うのです。
親になったら、このくらいの覚悟が必要なんです、きっと。
愛情もどきで、子どもが苦しんでいる現実がゴロゴロしていますから。
あぁ、良い親になるってことは、どんなに難しいことか!
今さら、気づくワタシなのでした。
戯言に、お付き合いいただき、ありがとうございました。