もしかして、みんな東大に行きたがっているのでしょうか?
もし、あなたがそのままで、「東大に行ける」と言われたら、行きますか?
『「東大で終わる人」「東大からの人」の明暗を分ける“意外な要素”』と題する、『週刊現代』(2022年2月12日号)の記事をネットで読みました。
そのなかで、「東大ハラスメント」なる言葉の存在を知りました。
「おい、東大卒」「東大出ても、こんなこともできないのか」「東大卒の割には・・・」
こんなふうに、何をしても、東大、東大、東大、といわれる状況を指すようです。
民間に就職したほぼすべての東大卒が、身をもって経験しているそうですよ。
いかがですか? あなたの周囲にこんな状況はありますか。
これを見て、記事とぜんぜん関係ないことを思いました。
みんな、東大にコンプレックスを持っているんだなぁ・・・です。
東大に行ける人って、天上人とでも思っているのですかね。
そんなふうに思っているところに、東大卒が入社してきて、実際のところを見ると、
「何だ、普通の人間じゃないか」となるわけですね。
そうしたら、「東大卒の割りには・・・」と皮肉のひとつも言いたくなるかも。
勝手に思い違いをしていただけだから、当の東大卒も良い迷惑ですが、ね。
でも、当の東大卒も、その東大の特権が欲しくて入学したのでしょうから同罪です。
問題は、なぜ、みんなが「東大、東大」となってしまうかです。
ひとつには、大学入学共通テストの影響があるのではないかと思います。
大学入学共通テストの前身が大学入試センター試験で、その前が共通一次試験です。
1979年に導入された、共通一次試験(正式名称:国公立大学入試選抜共通第一次学力試験)が、転機だったとも言えるのではないですか。
この年に、国公立大学は完全に序列化しましたね。
偏差値で大学が序列化されて、模擬試験を受ければ、自分がどのあたりにいるかわかってしまう。
つまり、全国で自分が、どのレベルにいるか、ランク付けされちゃうってことです。
その頂点が、東京大学というわけです。
点数が良ければ、より上位の大学を受けることになるってことは、
行き着く先は、東京大学。
東京大学に行けるってことは、頂点をとることです。
東大に合格すれば、人生バラ色! と思っても不思議じゃない。
ここで、ちょっと落ち着いて考えてみましょう。
大学はパスポートではありません。
その大学に入学したことで、すべての切符を手にできるわけじゃないですよね。
しかし、高校生に、そんなふうに思わせてしまうところがないですか。
多くの高校生が、そんなふうに思ってしまったのですよ。
医師国家試験や司法試験は資格試験ですから、合格=その職へのパスポートを得ることですが、
大学合格は、本来、その大学で勉強することができるということだけを意味します。
東大入試の合否が一生を左右するようなことになってること自体がおかしいと思うのです。
大学入試なのですから、知識だけじゃなく、その大学で勉強したいとどれだけ強く思っているのかを計れる方法はないですかね。
恩恵が欲しくて東大に行くんじゃなくて、本当に勉強したい人だけが東大に行く。
そんなふうになればいいなと思うのです。