モヤモヤを抱えて今日も生きる。

とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

「せんそうなんか、もうやめよ~ょ」

ロシアによるウクライナ侵攻から1年だ。

 

朝日新聞天声人語を読んでドキッとした。

 

「進軍エリアを色分けした地図を見るうちに、いつのまにかこの戦争を高みから眺めようとしている自分に気づき、恥じ入ることがある。」

 

ワタシも同じだ。

 

「世界のリーダーたちは何をしてるんだ?」

 

「国連がその機能を果たせなくなってるのが情けない。」

 

「日本の政治家たちは存在感が全然ないじゃん」

 

こんなふうになってる自分に気がついて嫌気がさす。

 

こどもたちに言われるぞ、きっと。

 

「そのとき、あなたは何をしていたんですか?」って。

 

そうかといって、ワタシのような一介の人間に何ができるというのか?

 

今朝、ラジオから流れた曲を聞いてドキッとした。

 

忌野清志郎が歌う「花はどこへ行った」だった。

 

心にしみた。

 

調べてみたら、この歌はウクライナに関係があると知った。

 

ずっと昔にたくさん聞いたことがある。

 

そうだったのか、この歌が反戦歌として知られるようになったのは、

 

ベトナム戦争のときに人々がこの曲を繰り返し歌ったからだったのか。

 

いま起きている戦争のことを考えると、

 

考えても話をしても、戦争を止める打つ手なし!・・・・と。

 

そこからは思考停止。

 

目を閉じてしまえば平穏な夜がそこにはある。

 

他人事と片付けてしまうことができるワタシなのだ。

 

この地球のどこかで戦争が起きている事実はかわらないのに。

 

「もうやめよ~ょ」「やめよ~、やめよ~」「せんそうなんかやめよ~ょ」

 

立場もプライドも捨てちゃって、生身の人間として

 

世界中の人がこんなふうに口々につぶやいていったら、何かがちがってくるかなぁ

 

今、この歌を自分の周りの人に聞かせてあげよぅ。

 

そして、理屈抜きに「せんそうなんか、もうやめよ~ょ」

 

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親の仕事は子どもを邪魔しないこと

たて続けに読んだ別の本に同じ文句が書いてあったので、この偶然にビックリしてしまいました。

 

「親の仕事は子どもを邪魔しないこと」

 

こう話すのは、「子どもが教育を選ぶ時代へ 」の著者・野本響子さんです。

 

野本さんは、日本の「公立学校に馴染めなかった長男を連れて、マレーシアにやってきました」というほどの人です。

 

しかも、マレーシアでも転校を重ね、「合計9つの学校を経験しました。」

 

この人にして、「親の仕事は子どもを邪魔しないこと」と言わせるのですから、

 

これは真理だと思います。

 

野本さんのお子さんはこんなことを言っていたそうです。

 

「例えば、子どもが『タイムトラベルって可能なんですか?』という質問をする。マレーシアのホームスクールの先生は、『ヒントとなる特殊相対性理論というのがあってね‥‥‥』と納得いくまで教えてくれる。日本だと、小学1年生の子が『相対性理論って何?』って質問すると『もっと大きくなってからね』と言われちゃう。そうすると、だんだん疑問を抱くことへのやる気がしぼんでいってしまう気がする。疑問をもって質問しても『余分なことを考えなくても、正解はこれだから、とにかく覚えればいい』と言われるから‥‥‥」

 

これを聞いて「放っておく」しかないのかな、と野本さんは思ったとか。

 

この本を読んでいると、マーレ―シアの教育は多様だなぁって思います。

 

いや、これはマレーシアばかりではないのかもしれません。

 

むしろ、日本の学校や教育が画一的だってことなのかも。

 

アクティブラーニングだとか何とか云って、日本の教育も変わりつつありますが、

 

世界のそれは、比ではないペースで変わっていっているようです。

 

この本を読んでいると、日本の学校や教育は硬直してるなって感じます。

 

日本の子どもたちの生きづらさはこのあたりにあるのかぁ、とも思ったりします。

 

 

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「子どもの英語にどう向き合うか」を読みました

小学校でも教科としての英語が始まっちゃいましたね。

 

ちょっとネガティブな言い方になってしまったのは、

 

英語学習は中学校からでも十分!と思っていたからです。

 

それよりも早く始めるのは、

 

メリットよりもデメリットの方が多いと思っていたからです。

 

何となく、そんな感じを持っていたのですが、

 

この本を読んで、やっぱりと確信しました。

 

この本とは「子どもの英語にどう向き合うか」です。

 

小学生以下のお子さんをお持ちなら、かなり参考になると思います。

 

小学校で英語を教える先生は、英語教育の専門家ではありません。

 

英語が専門ではない先生が教えているんだから、心配は尽きません。

 

先生自身の発音だって心許ないし、そもそも学問的理論も乏しいでしょう。

 

そんな先生に教わっていたら、子どもが英語嫌いになってしまっても無理もありません。

 

その他にも、母語である日本語の発達にも影響があるというのも気になるところです。

 

日本語でしっかりと考える力がつかないと、いろんなところに問題が生じるということです。

 

そのうえ、早く英語を習い始めても中学校に入ってからの英語力にまったく差がない、

 

というデータもあるくらいというのです。

 

結局、デメリット多くしてメリット少なし、なのです。

 

こういうことをちゃんと理解して、子どもを見守ってやりたいですね。

 

では、親はどうすりゃいいのか?

 

鳥飼さんのアドバイスが参考になります。

 

「幼い子に英語を教えるのか否かはさして大きな意味を持たないことになります。うまくいけば少し英語に親しみを抱くでしょうし、悪くすれば英語嫌いになるリスクも抱えます。

 

いずれにしても、中学高校に進んでからきちんと学ばないと英語を使えるようにはなりません。英語塾に通わなくても、十分に遊んで育った子どもは伸びる、と知れば、親としての姿勢が決まるのではないでしょうか。」

 

 

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すべての子どもは生まれながらの科学者なのに、周囲の大人が寄ってたかってダメにする

アメリカから来たある物理学者が、「子どもをあなたのような科学者に育てるには、どうしたらよいですか?」と、訊かれて間髪入れずに答えたのがこれです。



「何もしないのがよい。すべての子どもは生まれながらの科学者なのに、周囲の大人が寄ってたかってダメにする」



鳥飼久美子さんの「子どもの英語にどう向き合うか 」という本にありました。

 

ノーベル賞受賞者を世界各国から招いたイベントで通訳をしたとき、実際に鳥飼さんが質問したそうです。

 

「子どもが生来持っている力を信じて自ら伸びていくのを見守ることは、親の忍耐力が試されることではあるのですが、これこそが子育てかもしれません。」(本より引用)



いやぁぁぁ、これだから子育て(教育)はむずかしい。



(じゃぁ、何もしないでいいんだよね)と思っても、何もしなかったら子育てにならない。



(子どもが生来持っている力を信じる)ことだって、相当むずかしい。信じ切れるだろうか?

 

(伸びていくのを見守る)のだって、簡単じゃないですよ。



子どもの英語教育どうしよう?って興味で読み始めた本だけど、



教育・子育ての本質を突きつけられた感じです。

 

そうなのですよね、一旦ここまで突っ込まないとダメなんだと思いました。



自分は英語がしゃべれないのがコンプレックスだから、子どもにはしゃべらせたいとか、



もっと早くから習っていたら今ごろ私だって英語ペラペラだったはず、せめて子どもには・・・



こんな親の自己実現の手段に子どもを使っちゃうケースってあります。



子どもにしたら堪ったものじゃないんですよね。



こういうことが、子どもをダメにするってことなんでしょうね。



子どもの英語教育ひとつをとっても親の覚悟が問われるってことなんですね。

 

 

で、この覚悟さえできれば、子育ては楽しいものです。



子育ては自分育てだって、誰かが言ってましたっけ?

 

 

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上手に枯れて穏やかに死にたい

上手に枯れて穏やかに死にたい

 

ワタシもそう思いました。

 

最近、死を考えることが多くなりました。

 

残り時間のことを考えると、たっぷり時間があるわけではないので。

 

ただ、その時が目前に迫っているという切迫感はない。

 

だからこそ今のうちに考えておきたいと思った。

 

死を考えることは生きることを考えることになるから。

 

若いときには死のことなんて考えたことはなかった。

 

いや、考えたことはあったがリアリティはなかったな。

 

どこか他人事で、自分には起こらないことだって。

 

人間は必ず死ぬってことは理屈ではわかります。

 

ただ、実感をもって考えたことなんてなかったってこと。

 

上手に枯れて穏やかに死ぬ

 

という冒頭のフレーズは、最近読んだ本の第一章のタイトルです。

 

穏やかな死に医療はいらない」って本です。

 

在宅緩和ケア医・萬田緑平さんが書いた本で、読んでよかったと思いました。

 

死に方が、少しイメージできました。

 

読んでいて思いました、医者は上手に死なせてはくれないね。

 

医者にとっては、死は敗北ですからね。

 

「病院医師にとって治療の目標は患者さんにいい人生を送ってもらうことではなく、少しでも長く生きさせることです」

 

そうなんですよね。

 

だから、穏やかに死にたいと思ったら医者が敵になる場合があり得るわけです。

 

「もう治療はいらない」なんて言っても医者に受け入れてもらえない。

 

だから、緩和ケア医が必要だと思いましたよ。

 

 

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ダイバーシティってなんじゃ?

高校生に訊いてみました、「ダイバーシティ」って知ってますか?

 

返ってきた答えは・・・「潜る人が集まってる街ですか?」

 

「そうだよねぇ~」

 

やっぱりこの国には多様な社会が根付くのは難しいのかも。

 

多様な社会はなぜ難しいか 日本の「ダイバーシティ進化論」」という本を読みました。

 

「日本でダイバーシティは難しい」、というのが最初の話題です。

 

最近、あっちこちでよく聞くようになりましたが、果たしてこの言葉は日本語として根付くのでしょうか。

 

ダイバーシティを日本語に訳せば「多様性」というところでしょうか。

 

でも、ダイバーシティと多様性はちょっと温度差があるような気もします。

 

カタカナは外国の文化を取り入れるのに便利な言葉ですねぇ。

 

とりあえず、カタカナで取り入れてしまうってことができます。

 

これが日本に完全に根付いた例はいくつもあります。

 

バイトなんていい例ですね。

 

「今日はこれからバイトなんだ!」と高校生が言っています。

 

このバイトという言葉なんか、日本語で表す方が難しいですよね。

 

もともとはドイツ語のアルバイトで、「労働」って意味ですよね。

 

でも、バイトはバイトで完全に日本語です。

 

ここまでくれば言葉もその概念も私たちの血肉になってると言えます。

 

では、ダイバーシティはどうなっていくんでしょうかね。

 

先述の本の著者・水無田気流さんは、こういう言葉を「黒船語」と呼びます。

 

「ガイアツないしはそれに準ずるかたちで日本社会に導入され、適応が望ましいとされているものの、多くの一般庶民には日本語の身体感覚的にまだ馴染んでいない言葉」を意味する水無田さんの造語です。

 

ダイバーシティは、今なお日本では異文化だ。おそらく、この国の多くの人が、取り入れるのが望ましいけれども、日常的には馴染まないと、思っている」

 

「『異文化』を受容するかに見えて、その実『根づかせない』」

 

これが、私たちが生きている日本という国なのか。

 

生きにくさを感じるのも無理ないか。

 

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社会が変わってしまう?

この国の総理大臣が同性婚の法制化について

 

「家族観や価値観やそして社会が変わってしまう・・・課題であります」

 

こんなふうに発言して話題になっています。

 

その後の国会での首相の答弁も言い訳がましくて聞くに堪えません。

 

同性婚を認めたら社会が変わってしまって、その結果

 

多くの人がこの国を捨てて外国に行ってしまうことを心配しているのでしょうか?

 

首相のこんな発言を聞いて「ダメだこりゃ」と思ったのはワタシだけでないでしょう。

 

同性婚が法制化されたことを嘆いて日本を捨てる人なんてそんなにいないと思いますよ。

 

それよりも、同性婚も認められない日本を嘆いて、日本を出ていってしまう人の方が多いかも。

 

そっちの方を心配した方が良さそうです。

 

海外在留邦人のうち、永住者はここ20年間ずっと増加し続けているってご存知でしょうか。(他国への永住者が日本を捨てたというわけではないと思いますが)

 

岸田総理には他のことを心配した方がいいんじゃないかと思うのです。

 

こんな話があります。

 

日本には「男性プレミアム賃金」の慣行が根強い企業が多いということです。

 

「男性プレミアム賃金」慣行とは、同水準の能力を持つ従業員ならば、男性の方に高い賃金を支払う慣行です。(経済学者の川口章氏による)

 

「男性プレミアム賃金の慣行が根強い企業では、女性は能力に比して相対的に低い賃金しか支払われないため、より正当に評価してくれる企業へと転職する傾向が高まる。

 

他方、男性は他の企業に転職した場合現状よりも賃金が低下するため、現在の職場にしがみつく傾向が強まる。

 

結果的に、相対的に能力の高い女性が退職する一方、相対的に能力の低い男性が多数派を占める状況が常態化していく」

 

(引用は 多様な社会はなぜ難しいか 日本の「ダイバーシティ進化論」 より)

 

能力があって進取の精神のある従業員は外に出ていって、

 

残ったのはリスクをとりたがらない無難な従業員ばっかりという結果になってしまう?

 

なるほど、こんな企業って日本に結構たくさんありそうです。

 

企業だけじゃないですよね、日本という国もこっちの方を心配した方がよいのでは?

 

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