「当たり前」を疑うための「型」を学ぶ
フランスの哲学教育を言い表した言葉です。
『バカロレアの哲学 「思考の型」で自ら考え、書く』という本のなかに書いてありました。
フランスにはバカロレア試験というものがあると、以前から聞いていました。
バカロレア試験はフランスの高校生が受けるものですが、その中の一科目が哲学です。
そして、そこで学ぶのは「思考の型」だそうです。
実際にバカロレア試験で試されるのも、この「思考の型」がマスターできているかどうか。
「思考の型」とは「一文で表現される問題を決まった手続きによって分析し、解答を『導入・展開・結論』という三つの部分からなる構成に従って書くという・・・答案作成の方法です。」
フランスの「哲学教育の目的は、権威を鵜呑みにせずに自分で考え、発言し、行動することができる市民を育てること」
「思考の型は、そうした市民が身につけているべき、思考し、表現する作法の基礎となるもの」なのだそうです。
フランスで「市民」とは「多様な意見を理解し、時には同意し、時には反論するような健全な意見表明・・・を行うための能力を持った人々」ということになるようです。
なるほど、国会ですらまともな議論ができてるとは言い難い日本のことを考えると、
これは、なんとも素晴らしい考え方だと感心します。
もっとも、フランスでも手放しで賞賛できるほどうまくいっているわけではないようですが。
それでもね、ワタシなんぞはこの理念に感服します。
民主主義を支えるのは良識ある市民ですからね。
「民主主義社会における市民とはどういう存在か、そしてそれはどのように育てられるのか」
日本でも、こういうことをちゃんと議論できる土壌を作らなくてはダメだと思います。
「自分の考えを主張するだけでなく、相手の主張にも耳を傾け、その論理を内在的に把握した上で批判する」
「こうした議論の組み立て方を繰り返し学び、身につけることは、おそらく日本のわれわれにとっても重要であると思われます。」
ワタシも、この著者の考えに賛成です。