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終戦記念日に思う、自分がすべきこと

また、この季節がやってきた。

 

この季節は夏休みでもあり、お盆があるからかもしれませんが、何となく独特の雰囲気がある時期です。

 

それは、終戦記念日がちょうどこの時期に当たるということが大きいかもしれません。

 

そのちょっと前には、広島・長崎の原爆投下の日もあるし、

 

御巣鷹山での日航機事故というのも重なっているからかもしれません。

 

人の命について思うことが多いような気がします。

 

この時期になると、マスメディアでは戦争に関する記事が多くなります。

 

新聞の投書欄にもそれにまつわる話がいくつかありました。

 

その中でも目に留まったのが2人の大学生の投書です。

 

ひとつは第五福竜丸について書かれたもの、

 

もう一つは広島の原爆についてのものでした。

 

どちらも実際に展示館なり戦争展を訪れて体験者の声に何かを感じたというものです。

 

原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」(第五福竜丸の無線長)

 

「私たちは一年中被爆者だけれど、他の人は8月6日だけが戦争記念日」(ある被爆者)

 

今年はウクライナとロシアが戦争状態で迎える夏です。

 

改めて感じるのは、戦争を始めるのは政治家たちで戦争をさせられるのは国民だということ。

 

実際に戦争させられるのは私たち普通の人々だってことです。

 

「日本も隣国が攻めてきたときのことを考えなくてはならない」とか、

 

「平和、平和といっていても国は守れない」などの発言を聞くと心配になります。

 

この議論に私たち普通の人が乗っかってしまうのは危ういことではないか。

 

こんなことをしていると、いつか「戦争やむなし」になってしまうのではないかと。

 

私たちがすべきことは、先の新聞に投書した大学生がしているように学ぶこと。

 

つまり、戦争になったら私たちのような普通の人がどうなるかを知ることです。

 

若者は兵士として戦場に駆り出され、他の者は命の危険にさらされながらの苦しい生活が待っているのです。

 

若者には知ってほしいです、戦争によって普通の人々がどうなってしまうか、を。

 

私たちがするべきことは、戦争を体験した人たちの言葉に耳を傾けることじゃないか。

 

ワタシのすべきことは、出来るだけ多くの声を聴いて考えること。

 

これからは時期を選ばず、戦時下に生きた人たちの声を意識して聴いていこう。

 

若者の学びを目にして、改めてそう思いました。

 

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