「講釈師、見てきたように嘘をつき」っていう表現がありますよね。
学者にも、同じようなところがあるんじゃないかって感じるときがあります。
「現場を知らないくせに抽象的な理論を振り回して満足してない?」
学者や研究者に対してこんなふうに感じることがあります。
ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた を読みました。
人新世の「資本論」 (集英社新書) でお馴染みの研究者です。
「もっと現場から学ばなければいけない」と思い、
「現場に行け」を実践した2年間の記録です。
理屈を聞いてるよりもおもしろい。
そう言えば、ウーバーイーツもその仕組みは理屈ではわかっているが、
実際にやってみたことはない。
やってみて初めてわかることって確かにある。
読んでいて、自分の若い時のバイト経験を思い出した。
24時間稼働している工場の夜間シフトに入って、
まるっきり昼夜逆転の生活は一週間しか続かなかった。
都心の「億ション」などと言われた超高級マンションの仕上げ工事も手伝った。
一緒に仕事をした職人さんがいった言葉を今でも覚えている。
「この部屋に入れるのも今のうちにだぜ、完成したら一歩だって入れねぇからな。」
そんなところから学ぶことっていっぱいあると感じた。
「コロナ禍で世界人口の99%の所得が減少した一方で、世界の富裕層トップ10人の資産は倍増した」そうです。
「いまや、上位1%が全体の38%の資産を独占しているという。」
「傷ついた人が心を癒すことのできる社会を選ぶのか、それとも傷ついた人を切り捨てていくきびしい社会を選ぶのか?」
日本社会の分かれ目ですね。
さて、自分はどうするか?
学者は理屈ばっかり・・・と、批判だけしている自分に気づいてしまった。
最低じゃん。
傷ついている「他者の立場を想像するエンパシーやケアの精神が根本的に欠如している」のは自分じゃん。
批判のブーメランが返ってきました。
物言えばいろいろ非難もされて凹むが、
このもがきが、「もう少し生きやすい社会を作ることにつながっていく」と信じて。
ワタシも「学び捨て」、学び続けよう。