「家族」って実に厄介な存在だと思いました。
『家族、この不条理な脚本』を読みました。
韓国の家族事情を書いたものなんですが、
日本のことも出てくるし、
似てるところもいっぱいあって参考になります。
「家族という脚本」という視点がとてもいい。
家族とは堅固な脚本のようなものだと思った。私たちは、生まれたときからその脚本通りに娘または息子としての役割を期待され、大人になってからは妻と夫、母と父、嫁と婿などの配役が与えられる。(本書から引用p.3)
そう言えば、改めて家族とは? なんて考えずに育ちました。
知らず知らずのうちに、与えられた役を演じていたのかも。
その役は当たり前のように頭に刷り込まれていました。
この脚本の存在に気づくのは、よそ者が舞台に登場したときだ、
と、著者のキム・ジヘさんは言います。
そのよそ者とは、たとえば「性的マイノリティ」、
あるいは「クィア」。
これら、よそ者の登場によって気づくのですー
家族の名称が性別を前提にしてるってことに。
「娘」と「息子」
「母」と「父」
「嫁」と「婿」
これらは性別が違うだけで呼び名や名称が違ってくる。
呼び方が違うだけじゃなく、
その人に求められる役割までもが変わってきます。
だから、息子が男と結婚したら大変なことになっちゃうわけなんですね。
「同性婚なんてとんでもない!」ってことになるわけです。
性的マイノリティをめぐる問題は家族制度が絡んでくる、
というのが、この本の特徴です。
少子高齢化の問題も性的マイノリティのことも、
「家族という脚本」という視点で見てみると興味深い。
読んでいるといろんなことに気付かされます。
韓国のことなのに日本に当てはまるところがいっぱいあります。
「いまの家族体制は性的マイノリティを受け入れられない」のですよ。
「私たちが知る家族とは、性別によって細かく構造化された体制」なんですよ。
「すべての人を『男』と『女』の二分法を前提に区分し、性別に基づいて期待される特定の役割があることを大前提とする」のです。
「男女がそれぞれの役割を遂行しながら法的に結婚し、子どもを産まなければならないという一連の家族の脚本に忠実に従うことが期待され」る社会なんです。
私たちが暮らす日本社会とはどのような社会なのか、
この本はそれを知る良い機会になりました。
ワタシの暮らしている社会って、こういうところだったんですね。