以前、ずっと以前のことですが、
「重松清、好きでしょ?」と同僚に言われたことがあります。
半ば決めつけるように。
別段、なんとも思ってもいなかったから否定も肯定もしませんでした。
でもね、悪い気持ちはしなかったけど良い気持ちもしなかった、というのが正直なところ。
今回、『カモナマイハウス』を読んでみました。
自分では意識していなかったけど、『好きでしょ?』というのは当たっていたかも。
「具体的な心配事や段取りではなく、ただ、重いものがある。まるで、はしゃぐな、楽しむな、安らぐな、忘れるな、と無言で戒めるように、その重石はずっとココロに居座って動かないのだ。」
人生を重ねてくると、こういう気持ちわかります。
両親が年老いてきて介護が必要になったりすると切実です。
「酒に溺れたわけではない。博打にのめり込んだわけでも、暴力をふるったわけでも、理不尽な追い詰め方をしたわけでもない。一つひとつは、どれもささいな、チクッと痛む程度のトゲだった。それが無数に刺さるともう耐えられない――少しずつ溜まった水滴がコップからあふれてしまうようなものだろう。」
やり直せたら・・・と思うんですけど、そのときはもう遅いんですよね。
夫婦も親子も、長い年月ずっとずっとうまくやっていくのはたいへんです。
小説の登場人物がうまいことを言っています。
「でも、まあ、ここからが長いのよ、夫婦は。愛情の愛は花と同じでいずれは枯れちゃうかもしれない。でも、情の根っこが残ってるうちはだいじょうぶ。根っこに別の花を咲かせれば友情にも人情にもなるわけ」
「でもね、夫婦なんだから一つにならなきゃ、なんでも同じにしなくちゃ・‥‥なんてことを考え出すと、同情になるから。同情は共倒れの第一歩、絶対にダメっ」
愛情 → 友情 → 人情
でも、同情になっちゃダメ。
うまいこと言います。
空き家をめぐる家族の絆の物語ですね。
やっぱり、ワタシ
重松清が好きなのかな、
好きなのかも。