全国の小・中学校で不登校をしている児童・生徒の数は24万5,000人だそうです。
ここ4、5年 毎年増え続けています。
こういう状況の中で、「フリースクール」なる言葉もあちこちで耳にするようになりました。
しかし、その実態は様々です。
子どもが「学校に行かない」と言い出したら・・・
不登校の子どもを持つ親にとっては切実です。
「学校に行くことが当たり前」と受け止めていた親にとっては、
どうしたらよいのか、苦悩の日々を過ごすことになります。
しかし、一番苦しんでいるのは当の本人だということを忘れてはいけませんよね。
世の中はいろんな形で線引きされています。
障がいを持つ人と、そうじゃない人、
病気の人と、そうじゃない人・・・
不登校も同じですね。
不登校の小・中学生と、学校に通っている小・中学生・・・
不登校児童・生徒を持つ親と、学校に通っている小・中学生の親・・・
自分の子どもが不登校になったら、見る景色がどんなにか違ってくるか。
学校に行くことが当たり前と思っていたら、なかなか受け入れられない事実です。
不登校は個人の問題じゃなく、社会の問題だと捉えるべきです。
この社会に生きるすべての人の問題なんだと。
こんなふうに考えたのは、この本『居場所のちから―生きてるだけですごいんだ』を読んだからです。
1991年に「たまりば」をスタートさせた西野博之さんの著書です。
今から30年ちょっと前はどんな状況だったのでしょう。
著書にはこんなふうに書いてあります――
「『たまりば』をスタートした15年前、当時の『居場所』の状況というのは緊急避難所(シェルター)的な性格が強かった。学校に行かないというだけで未来が閉ざされ、人間としての尊厳すら脅かされていた。将来を悲観した親に無理心中を迫られた少女の顔、自分の痛みや苦しさを受けとめてもらえず、親に向かって包丁を振りかざし、住めなくなるまで家を壊し続けた少年のあの顔が、いまでもくっきりと瞼の裏に焼きついている。何度も手首を切り刻んでいた若者たちの姿が思いだされる。」
「あの当時、子どもたちがいのちがけで訴えようとしていたことはなんだったのか。いつの間にか、不登校の子でもこられるような『学校』をつくってあげる、学校に行けるようにしてあげる、学歴をつけてあげる。そういう取り組みの増加によって、あのころの子どもたちの思いが、うまいことおとな社会にからめとられようとしているのではないか。」
ハッとしましたね。
不登校でも行ける学校ってなんなんだろう?
不登校対策ってこれでいいのだろうか?
この本を読んでいると、いろんなことを考えさせられます。