「体育座りは体に悪い」という山陰中央新報の記事は反響が大きかったようですね。
後追いで、関連記事がいくつも出ているのを見ました。
その中の一つがこれで、体育座り云々以前にこれが求められる状況がいまだに存在するという事実に注目するものです。
確かに、オンラインが当たり前になりつつある今、学校の中でも体育館に児童生徒全員を集める集会は本当に必要なのでしょうか。
校長の話を聞くなら、生徒は各教室のモニターで視聴すれば亊足ります。
なにも時間をかけて全校生徒が体育館に集合し、不自然な姿勢で堪える必要もないわけです。
そう言えば、体育館では校長が話をしている間に生徒の並んでいる列に分け入って、
態度の悪い生徒を注意して廻っていた教員がいました、いました。
「ちゃんと話を聞きなさいっ!」とか言いながら。
ワタシはいつも思ったものです、「あんたがいちばん聞いてないよね!」
こんな話も聞いちゃいました。
「あの生徒はわがままでどうしようもない」と、ある先生が言うと、
「わがままは通用しないということを教えてやるのが学校というところですよ」と、別の先生。
まるで、「この私が教えてあげましょう」とでも言うように。
ワタシは「教えてやる」という表現に引っかかって気持ちが悪いんです。
学校は「わがままは通用しないということを学ぶところ」では、あるかもしれませんが、
教師が「教えてやる」って、いったいどうやって教えるのでしょう。
こういう教師に限って教えてやったつもりになっているんです。
当の生徒は教えてもらったとは思っていないし、
こういう教師の下では、たぶん学ぶチャンスも持てないでしょう。
学校のことになると、つい言い方がキツくなってしまいます。ごめんなさい。
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