ちょっと考えればわかると思います。
たとえば、ワタシが日本でなくニューヨークで育ったらどうだったろうか?
今の自分とは全くと言っていいほど、違った人になっていると思います。
それほどまでに環境って大事なんですよね。
もし、自分がサラリーマンで専業主婦の母親がいる家庭で育つのでなくて、
食堂かなんかを経営する家に生まれて育ったら、やっぱり違う自分になっていると思います。
それだからって、親の職業は簡単には変えられないし、
何がベストなのかはわからないから、環境を整えるのはそう簡単じゃありませんね。
それでも、そのあたりのことをちゃんと考えて子育てしたいです。
今、中高一貫校が地方でもあっちこちにできている状況を見て、ある心配があります。
同じような年収で、同じような暮らしぶりで、同じような価値観の親に育てられた、
そんな子どもたちが、ひとつところで学ぶって、本当に理想的なのか?
学校は違った価値観に出会う場所でもあります。
『1%の努力』の著者・ひろゆき氏は、著書の中でこんなことを書いています。
「学校の40人のクラスで、他の39人から1品ずつおかずをもらうことならできるかもしれない。実際に、僕はその方法で豪勢なお弁当を作るようなことをしていた。」
いかがですか? あなたのクラスにこんな級友がいましたか?
同じ書著の中で、ひろゆき氏はこんな考えも披露しています。
「誰だって1円玉くらいは頭を下げてお願いをすればくれる。だから、1億人から1円玉を集めれば、1億円が手に入る」
さすがに、これは「現実的ではない」と言っています。
これを読んで思い出したのですが、ワタシの高校時代に似たことをしていた奴がいました。
そいつは、あっちで「10円ちょうだい」、こっちで「10円ちょうだい」、と友だちの間を廻って100円集めて自販機でジュースを買ってました。
「100円くれって頼んでもダメだけど、10円ならけっこう簡単にくれるもんだよ」
そいつは、こんなことをのたまっておりました。
一歩間違うと、みんなから嫌われるから要注意なのですが。
当時は呆れて聞いていましたが、自分の価値観を揺さぶられる経験のひとつだったですね。
こういう経験が、実は大事だったりするのです。