モヤモヤを抱えて今日も生きる。

とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

「すいませんね、親戚でもないのに」という人の心理は

一緒に仕事をした人の中にいたんです、こんなことを言う人が。

 

べつに、悪い人ではなかったんですよ。

 

その人には、本当に困っている時に助けてもらったこともありました。

 

ただ、この言い方だけは言われて良い感じではなかったですね。

 

ワタシが何かをしてあげると、「すいませんね、親戚でもないのに」と、

 

うっすらと笑みを浮かべて言うんです。

 

「ありがとう」と言ってくれれば、こちらも素直に「どういたしまして」って言えるのに。

 

気にしなければいいのですが、こういうのが気になる性分なんですよね。

 

それで、考えたのですが、「親戚でもないのに」って言うことは、

 

「親戚だったら、そうするのが当然だけど・・・」というのが言外にあるわけ?

 

これが引っかかるところなんです。

 

親戚だったら、お礼も言わないのかな?ってね。

 

この人の親戚だったら、どんなことを要求されるんだろう?

 

しかも、「やって当然」ってことになるのでしょ?

 

もし、ワタシが気づかずにやらなかったら、陰で(表でも)何を言われるかわからない。

 

そう考えると、うすら恐ろしくなるわけですよ。

 

そもそも、ワタシは親戚と他人の間に線引きしたくないですから。

 

「親戚だったらやって当然」などと思うことはワタシにはありません。

 

親戚や家族に何かをしてもらったら、素直に「ありがとう」と言いたい。

 

他人が同じことをしてくれたら、「ありがとう」と言うのと同じように。

 

家族にこそ、「ありがとう」という姿勢で接するようにしたいと思います。

 

いちばん身近にいる存在である家族に、最もやさしくしていいんじゃないか。

 

むしろ、そうすべきなんじゃないだろうかと思うのです。

 

日本はどうも、「他人にやさしく身内に厳しく」って風潮があるように感じます。

 

ワタシは、身内にやさしい人が信じられます。

 

いくら、他人にやさしく接する人でも、身内にきつく当たる人は苦手です。

 

外面(そとづら)が良い人より、内面(うちづら)が良い人の方がいいなぁ。

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村