『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー (新潮文庫)』を読んで思いました。
どうしてこんなに学びがあるんだろうか。
息子が素直で聡明だからだろうか?
母親が「ぶっ飛び母ちゃん」だからだろうか?
母と息子の日常会話にインスパイアされるのは、舞台がイギリスだからなのだろうか?
たしかに、いじめもレイシズムも喧嘩もある「元底辺中学校」だ。
著者自身も言っている―「正直、中学生の日常を書き綴ることが、こんなに面白くなるとは考えたこともなかった。」
読んでいておもしろいんですよね。学びがあるんです。
It takes a village. という英国の人々が子育てについてよく使う言葉が文中に出てきます。
これは、「子どもは村全体で育てるものだ」という意味だそう。
「うちの息子を育てているのも親や学校の先生だけじゃない。こうやって周囲のいろいろな人々から彼は育てられてきたのである。」と著者が語っている場面があります。
これだと思います。日本になくて英国にあるもの。
日本で、子どもが学校で学んだことを親に話したくなるだろうか?
日本で、子どもたちが社会の矛盾に直面し抱いた疑問を親にぶつけるだろうか?
日本では学校での学びが生きるための学びになっていないし、子どもが社会と関わるチャンスが極端に少ないのではないですか?
こんなふうに言ってしまったら言い過ぎでしょうか。
ともに悩み毎日を乗り越えていく親子の姿を見て、自分の国の教育や社会を考えずにはいられません。
この本だけからすべてを語るようなことは危険ですが、考える価値はありそうです。