モヤモヤを抱えて今日も生きる。

とかくこの世は生きにくい。日々モヤモヤを抱えて生きています。モヤモヤジャンルは本・子育て・教育・映画・ニュース・社会などです。あなたに響けば幸いです。

入学式でどんな言葉をもらった?

「自分は入学式でどんな言葉をもらっていたか、ボーッとしていた記憶しかないのが、悔やまれる。」

 

謙遜でしょうが、4月14日の天声人語の筆者はこんなふうに語っています。

 

各地の大学の入学式で語られた学長らの言葉を紹介した記事の結びです。

 

この時期は、卒業式や入学式やらで言葉をもらう機会がたくさんあります。

 

いかがですか、心に響く言葉がありましたか?

 

ワタシも自分の入学式や卒業式でどんな言葉をいただいたのか、全く覚えていません。

 

まっ、だいたいの人はそうなんじゃないかと推察しますが…。

 

歳をとったから、ということもあるでしょうが、

 

若くても、もらった言葉を鮮明に留めておける人は多くはないでしょう。

 

ちょっと嫌味っぽく言ってしまうと、

 

端から聞く耳を持たない人もいるんじゃなかろうか。

 

でもね、これではもったいないと思います。

 

どうせ忘れてしまうのだから聴いたってしょうがない、じゃなくて

 

忘れてしまうだろうから、せめて聴くときは全身全霊を傾けて聴こう。

 

老婆心ながら、若者にはこんなことを伝えたいです。

 

そのとき何かを感じる、これが大事なんだと思います。

 

聴いた言葉は思い出せなくても、真剣に耳を傾けていれば、

 

その言葉は心の奥底に長く残っているはず。

 

そして自分ではそれと意識しなくても、その言葉はきっとあなたの力になる。

 

そういうものだと思います。

 

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「そうなんですね」に違和感、その正体は?

「そうなんですね」という表現に違和感を感じます。

 

ラジオを聴いていて、最近たて続けに耳にしたものですから。

 

以前はあまり耳にしませんでしたが、ワタシだけなのでしょうか。

 

この場合は「そうなんですか」じゃないの?

 

最近は「そうなんですか」の場面で「そうなんですね」が使われている。

 

ワタシにはそんなふうに感じられるのです。

 

特に女性に多いような気がします。

 

気になったものですからネットでチェックしようとしたら、

 

検索候補に「そうなんですね 違和感」と出てきたものですから、そう感じているのはワタシだけじゃないんですね。

 

そして、記事を読んでみてもイマイチ納得できないのです。

 

「そうなんですか」も「そうなんですね」もどちらも相づちですが、

 

ワタシの感覚では、「そうなんですか」は疑問形に近くて、

 

そのあとに、「そうなんですか? なるほど・・・、私はそんなふうには思っていませんでしたが・・・」と続きそうで、

 

もっと肯定感を出そうということで「そうなんですね」になったのではないか。

 

こんなふうに感じました。

 

無難に済ませたいという今どきの風潮の表れかと。

 

波風立てないように気を使っているのでしょうが、

 

ワタシにはかえって嫌味っぽく聞こえてしまいます。

 

「あなたはそう思うんですね(私の意見はともかくとして・・・)」って感じで、

 

なんだか上から目線を感じるんです。

 

アナウンサーなどが発すると、特にそう感じます。

 

言う方は丁寧に対応しているつもりなのでしょうが、言われた方は軽く受け流されてる感じが残るのです。

 

「そうなんですか?」と言われた方が、「そうなんですよ、それでね…」って具合に話が弾むと思うんです。

 

今のところ、ワタシ自身は「そうなんですね」は使わないと思いますが、

 

そのうちに、自然と口に出てくるくらいに当たり前になっていくのでしょうか、ね?

 

こんなことが気になって気になってモヤモヤなのです。

 

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平気で笑う人間になってしまうのか?

スリランカ女性が入管施設で死亡するという事件がありました。

 

そして、女性が亡くなる直前の映像を遺族が公開しました。

 

「きょう死ぬ」

 

「病院、持っていって。おねがいします」

 

入管職員への、こんな哀願が映し出されます。

 

懇願する女性を前に職員が笑っている場面も。

 

この光景に言葉を失ってしまいました。

 

このことに関連して、3月3日の朝日新聞天声人語にはこんな言葉がありました。

 

権威体勢に取り込まれた人間は「自分の行動に責任をとらなくていいと考えるようになる」

 

心理学者のスタンレー・ミルグラムの言葉だそう。

 

「その無責任さが密室での残酷な行為につながるというのだ」と、筆者は語ります。

 

自分がその立場にいたらどうするだろう?と考えます。

 

学校で放火騒ぎがありました。

 

すぐさま、全校生徒が体育館に集められ、

 

教職員は別室で善後策を協議です。

 

生徒の持ち物検査をしましょう。

 

皆、口は重く発言はまばらです。

 

賛成の意見はあっても、反対意見は出ません。

 

大勢は、持ち物検査をするということに大きく傾いています。

 

こんな状況下、あなたならどうしますか?

 

 

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「つい怒ってしまう」のはどうしてか?

「つい怒ってしまう」のはどうしてか?

 

子育てしていると「つい怒ってしまう」というのはよくあることです。

 

「ダメ!」

 

「うるさいなぁ!」

 

「いいから、早くして!」

 

こんなこと、しょっちゅうです。

 

でもね、怒っても子育てはうまくいかないんですよね。

 

そして、親自身が自己嫌悪に陥ったり。

 

そんな悪循環から抜け出すためのヒントをくれるのが本書です。

 

怒らないですむ子育て: そのイライラは手放せます

 

著者は精神科医水島広子さん――対人関係療法の第一人者と言われる人です。

 

本書は2012年に刊行された著書のリメイク版です。

 

写真も取り入れられていて、雑誌みたいでとても読みやすくなっています。

 

さすが精神科医ってところなんですが、

 

怒りのメカニズムから対処方法まで実に論理的で実践例が豊富です。

 

「つい怒ってしまう」のはどうしてか?―から始まって、

 

じゃあ、どうすればいいのか?―などなど、「そうなのか〜」の連続です。

 

印象的なのは、子どもをもつということの意味です。

 

それは、「自分を無条件に愛してくれる人をもつこと」だそうです。

 

親が子どもを愛するのじゃなくて、子どもが無条件に親を愛するのが先です。

 

親にとって、「子どもとの関わりは、無条件の愛情を与えてもらう、人生で初めての機会」なんだそうです。

 

そして、そんな愛情を感じながらのびのびと子育てができれば

 

「それが、子どもを無条件に愛することにつながる」と。

 

子育て真っ最中に読みたかった本です。

 

いまがそのときのパパ・ママにはぜひ手にとってもらいたい一冊です。

 

 

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成熟した大人になりたいもんです、ね。

「本を読む」ということは、自分とは違う人生を見るための格好の材料なのです。

 

 

文中にあった著者・林真理子さんの言葉です。

 

 

この本はまさにそうですね、林さんがどんな人生を生きてきたかが見られます。

 

 

そして、どんなふうに考えているかを知ることができます。

 

 

タイトルは「成熟スイッチ (講談社現代新書)」です。

 

 

大人になるってどういうことなのか、ってことを語っている感じですね。

 

 

表紙の帯に目が惹かれました。

 

 

林真理子さんの写真がインパクトあります。

 

 

昔の顔と今の顔がドカーンと。

 

成熟スイッチ (講談社現代新書)

 

これだけでいろんなことを語ってくれちゃってます。

 

 

4つの成熟テーマを設定して、具体例をいっぱい出しながらのお話しは結構おもしろい。

 

 

瀬戸内寂聴さんや渡辺淳一さんにはかなり刺激を受けたらしい。

 

 

このお二人には、ワタシも感心大ありなのでエピソードにフムフムと・・・。

 

 

それにしても、いろんな人のエピソードが実名で出てくるんですけど大丈夫なのですかね。

 

 

デビューしてから、作家として以外にも芸能界かマスコミかでいろいろ騒がしかったですよね。

 

 

この本を読んでのワタシの感想は、「林さんってけっこう常識人なんですね」です。

 

 

もっと型破りな考えをしているのかな、と思っていましたが。

 

 

読んで思ったのは、ちょっとおもしろい啓発本かマナー本か?って感じです。

 

 

それにしても、エピソードの中に実名でいろんな人が出てくるのですが、

 

 

これって本人の承諾を得ているんですかね?

 

 

そんなところが気になりました。

 

 

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学校に行けない子はフリースクールに???

全国の小・中学校で不登校をしている児童・生徒の数は24万5,000だそうです

 

 

ここ4、5年 毎年増え続けています。

 

 

こういう状況の中で、「フリースクール」なる言葉もあちこちで耳にするようになりました。

 

 

しかし、その実態は様々です。

 

 

子どもが「学校に行かない」と言い出したら・・・

 

 

不登校の子どもを持つ親にとっては切実です。

 

 

学校に行くことが当たり前」と受け止めていた親にとっては、

 

 

どうしたらよいのか、苦悩の日々を過ごすことになります。

 

 

しかし、一番苦しんでいるのは当の本人だということを忘れてはいけませんよね。

 

 

世の中はいろんな形で線引きされています。

 

 

障がいを持つ人とそうじゃない人、

 

 

病気の人と、そうじゃない人・・・

 

 

不登校も同じですね。

 

 

不登校の小・中学生と、学校に通っている小・中学生・・・

 

 

不登校児童・生徒を持つ親と、学校に通っている小・中学生の親・・・

 

 

自分の子どもが不登校になったら、見る景色がどんなにか違ってくるか。

 

 

学校に行くことが当たり前と思っていたら、なかなか受け入れられない事実です。

 

 

不登校は個人の問題じゃなく、社会の問題だと捉えるべきです。

 

 

この社会に生きるすべての人の問題なんだと。

 

 

こんなふうに考えたのは、この本『居場所のちから―生きてるだけですごいんだ』を読んだからです。

 

 

1991年に「たまりば」をスタートさせた西野博之さんの著書です。

 

 

今から30年ちょっと前はどんな状況だったのでしょう。

 

 

著書にはこんなふうに書いてあります――

 

 

「『たまりば』をスタートした15年前、当時の『居場所』の状況というのは緊急避難所(シェルター)的な性格が強かった。学校に行かないというだけで未来が閉ざされ、人間としての尊厳すら脅かされていた。将来を悲観した親に無理心中を迫られた少女の顔、自分の痛みや苦しさを受けとめてもらえず、親に向かって包丁を振りかざし、住めなくなるまで家を壊し続けた少年のあの顔が、いまでもくっきりと瞼の裏に焼きいている。何度も手首を切り刻んでいた若者たちの姿が思いだされる。」

 

 

「あの当時、子どもたちがいのちがけで訴えようとしていたことはなんだったのか。いつの間にか、不登校の子でもこられるような『学校』をつくってあげる、学校に行けるようにしてあげる、学歴をつけてあげる。そういう取り組みの増加によって、あのころの子どもたちの思いが、うまいことおとな社会にからめとられようとしているのではないか。」

 

 

ハッとしましたね。

 

 

不登校でも行ける学校ってなんなんだろう?

 

 

不登校対策ってこれでいいのだろうか?

 

 

この本を読んでいると、いろんなことを考えさせられます。

 

 

 

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「就職先どこにする?」からの展開にハッとした

「就職先どこにする?」

 

 

という話の中で、自国に留まるか?外国へ行くか?が話題になる国があるという。

 

 

近頃の日本の若者は、内向き志向で外に目が向かない!

 

 

こんな非難がましい声もよく聞きますが、

 

 

就職の段階で、自国に留まるか外国に出て行くか?の選択を迫られる国もまたしんどいです。

 

 

政情が安定していなかったり、経済的に将来性が見込めない国では、当たり前のことなのかも。

 

 

少なくとも、今の日本はそこまで追い込まれた状態ではないですよね。

 

 

こういう国と比べてみると日本は恵まれた状態なのだな、と改めて考えさせられました。

 

 

これは、ラジオで聞きかじったタイのお話しです。

 

 

このタイの若者のことを思って一瞬「ハッ!」としました。

 

 

そして、さらに悩ましいのは、

 

 

選択にあたって、本人を悩ませる状況です。

 

 

タイという国では、道徳的に親の面倒を見るのが子のつとめ。

 

 

外国に行くことは、ある意味で親を捨てることになるので後ろめたさを感じる。

 

 

おまけに、高齢者に対する公の支援が少ない、と。

 

 

つまり、子どもが年老いた親の面倒を見るのことが当然視される社会だということです。

 

 

これは若者にとってきびしいです。日本はこれほどまでじゃない。

 

 

だからといって、日本の子どもは恵まれているっとことを言いたいわけではありません。

 

 

日本をとりまく経済状況を見ていて、

 

 

いつまでまともに働ける場所を提供できるのか?わかりませんものね。

 

 

いやいや、現状でも労働環境は問題アリアリですから。

 

 

「もっと大変なところもあるんだから、我慢しろ!」というつもりでは、決してありません。

 

 

若者が未来に希望が持てる社会をつくる。

 



すべての大人の責務だと思います。

 

 

 

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